『大人のための公民教科書』を書いた個人的背景――公民教科書史研究と『新しい公民教科書』執筆の経験

公民教科書史や憲法解釈史を研究してきた

 前回、政治に対する落胆から、日本復興の希望を繋ぐために『大人のための公民教科書』を書いたと記した。しかし、そもそも政治のことを、国家のことを考え続けてきた背景には、私の研究者人生が関わっている。今から50年以上前から、私は戦前の憲法解釈史を皮切りに、教育勅語解釈史、歴史教科書史、法制経済-公民教科書史の研究を始めた。その成果は、1989(平成元)年に『天皇機関説と国民教育』刊行という形で現れた。

 そして、この年から戦後の憲法解釈史と中学校公民教科書史を研究し出した。憲法解釈史の研究は1990年代までで中断してしまったが、公民教科書史の研究は今も継続している。その間、1999(平成11)年から2016年までは中学校歴史教科書の歴史も研究し続けていた。今はもう歴史教科書史の研究を続ける時間も元気もなくなってしまったが、ともかく、私は、1990年代までの憲法解釈史と戦後70数年間にわたる公民教科書の歴史を研究してきた。この経験が『大人のための公民教科書』を書いた背景に明確にある。

逆差別思想の根源である「平等権」は公民教科書の中で確立した

 公民教科書史を研究する中で、公民教科書がいろんな弊害を日本社会にもたらしてきたことに気付かざるを得なかった。その点は、『史』に11回にわたって連載した「『日本解体新計画書』としての公民教科書」に詳しいから、これらの論考を参照されたい。

 さて皆さんは憲法学の内容が公民教科書に影響を与えていくと考えられているかもしれないが、逆の影響も大きいと指摘しておこう。国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の三者を「日本国憲法」三原則と捉える考え方は、まずは昭和30(1955)年度の公民教科書で一挙に一般化したものである。憲法学ではずっと少数派であったが、ようやく多数派になっていったのは1980年代以降のことである(拙著『公民教育が抱える大問題』自由社)。

 こういう公民教科書→憲法学という流れは、「法の下の平等」か「平等権」かという問題でも見られる。公民教科書は、結果の平等を求める余り逆差別をもたらす思想的根拠である平等権という概念を、1965(昭和40)年前後に、憲法学より20年ほど先んじて確立した。その結果、平成に入って以降の公民教科書は、女性差別、障害者差別、韓国・朝鮮人差別などの外国人差別、アイヌ差別など差別問題に異様に頁数を割くようになった(同)。この反差別ないし逆差別思想は、日本人一般に広がり、2016年には「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(所謂ヘイトスピーチ解消法)が成立した。この法律は日本国民から外国人に対するヘイトスピーチを禁止しながら、外国人から日本国民に対するヘイトスピーチを禁止しないものであり、堂々と「法の下の平等」を無視した日本人差別法である。

 また、2019年にはアイヌ新法が成立し、アイヌが先住民族と虚構されたばかりか、アイヌ差別がことさらに禁止されることになった。アイヌ差別だけを特別に法律で禁止することは、逆に言えばアイヌ以外の日本人を差別することであり、やはり「法の下の平等」に反することだった(どうしても法律が必要だとしたら、時限法でつくるべきである)。この問題は、性的少数者に対する差別を禁止したLGBT理解増進法(2023年)にも言えることである。これらの反差別法は、国民を分断し、お互いに角突き合わせる社会を作り出していく危険性が大きいと言っておこう。端的に、日本社会の「和の精神」に反する法律である。

四段階の社会構造を教えない公民教科書に驚愕した

 それはともかく、公民教科書史を研究してきて一番ショックだったのは、最近10年間の公民教科書の多くが、家族、地域社会、国家、国際社会という四段階の社会構造を全く教えていないことである。そのことに気付いたのは、令和元(2019)年度検定が終わり、他社の公民教科書を含めて公民教科書全体の評価を行っていた時だった。

 元々昭和20年代以来、公民教科書は国家論を教えてこなかったが、家族論と地域社会論は展開してきていた。だが、平成20(2008)年度中学校学習指導要領改訂の結果、家族論や地域社会論を書かなくても検定合格できるようになった。そして、家族論も地域社会論も記すのは完全に少数派になった。昭和20年代以来、公民教科書においては、国家同士が話し合えば平和になるというお花畑世界観が展開されてきた。それゆえ、公民教科書においては、諸国家が国益をかけて競争し牽制し合う国際社会という概念は存在せず、国益という概念さえ存在しなかった。国際社会論がずっと存在しないのである。家族、地域社会、国家、国際社会という四段階の社会構造をすべて教えないのが日本の公民教科書である、という状態が出来上がったのである。

 令和元年度検定が終わった2020年にこのことに気付いた時、私は長嘆息せざるを得なかった。四段階の社会構造をどこかで日本国民が学ばないとダメなのではないか、日本社会は衰退の一途をたどるのではないかと思うようになった。歴史教育などよりはるかに公民教育が異常なのだ。こういう想いは「つくる会」の中でさえ全く広がらないが、『大人のための公民教科書』につながったのであろう。

『新しい公民教科書』の平成22年度検定を経験して

 このように公民教科書史の研究をしてきた私は、2007(平成19)年に「新しい歴史教科書をつくる会」理事となるや、すぐに『新しい公民教科書』3版の代表執筆者となり、全面改訂の作業に取り掛かり、この教科書の大枠をつくった。最終的に代表執筆者を降りることになったが、『新しい公民教科書』3版の中で私が力を入れたのは、国家論と家族論、そして天皇論と立憲主義論であった。検定過程においては、家族論について対立はなかったが、他の三者、特に天皇論について激しく対立した。

 天皇論についていえば、戦後日本だけではなく古代から戦前日本まで、いつの時代における表現であろうと君主国、君主と書くことを教科書調査官は許さなかった。現代日本の天皇についても、君主だけではなく、権威と記すこともダメだと言われたし、天皇は外国から元首として遇されているにもかかわらず、ストレートに元首と書くこともできなかった。「諸外国では、天皇を元首とみています」との記述さえも、「天皇が国家の元首とみられることがあります」に変えられてしまった。執筆者側が一番残したかったのは立憲君主制という表現であるが、これも最終的に消されてしまった。しかし、公権解釈上も現実の上でも、天皇は元首である。また、公権解釈上、戦後日本も立憲君主制である。この公権解釈が検定では否定されてしまうのである。この天皇論をめぐる対立は、その後も一貫して続いている。

 平成22(2010)年度検定で思い出すのは、申請本の《日本史にみる立憲主義》という大コラムのことである。この大コラムの中で、申請本は「一つの血筋の天皇家が続いてきた、世界で最も古い君主国であり、国の人口からいえば、最も大きな君主国である」と、また「江戸時代の末期には庶民の識字率は欧米諸国に勝る水準に達していた」と書いていた。ここに書いたことはすべて事実であるし、調査官もこれらの事実を否定しなかった。だが、全て合格本では消えていった。

 なぜ、消えてしまったのか。とりあえずは、「君主国」はダメだということ、「一つの血筋の天皇家が続いてきた」という事実を書かせたくないということ、この二点が理由である。だが、いかなることであろうと、日本が一番優れているというようなことを書いてはダメだという了解事項が検定側にはあるようだった。すなわち、「最も古い」や「最も大きな」、あるいは「欧米諸国に勝る」という表現がダメだったのだ。公民教科書にも、検定を通じて自虐史観が持ち込まれていることに注目されたい。

令和元年度検定を経験して

 その後、『新しい公民教科書』の代表執筆者として、令和元(2019)年度と令和5(2023)年度の二回の検定に関わった。その中で、国家論、天皇論、立憲主義論以外にも、平和主義・防衛問題についても検定側と対立した。令和元年度検定合格本から余り修正しなかった5年度検定では対立はさほど激しくなかったが、令和元年度検定では平成22年度検定以上に検定側と対立した。特に完全に削除されてしまった二つの記述のことを思い出す。

 一つは《国民主権、人権思想と立憲主義の対立》という大コラムである。このコラムでは、フランス革命はなぜ恐怖政治を生み出したのかというテーマを設定し、君主主権であれ国民主権であれ、主権論と人権思想の暴力性を説いた。そして、特に国民主権論の暴走こそが、権力分立などの立憲主義を葬り、フランス革命やナチズム、共産主義による大虐殺を生み出してきたことを説いた。この大コラムは、国民主権や直接民主主義、共産主義に憧れを持つ傾向のある検定側の反発を招き、削除されてしまったのである。

 もう一つは、《わが国の安全保障の課題》という大コラムの中の「捕虜資格について知っておこう」という小見出し部分の記述である。実は、日本も批准している捕虜条約は軍隊教育や国民教育で捕虜資格などについて教えることを要求している。この条約遵守の立場から、それ以上に、外国からの侵略が迫っている状況下では捕虜資格の知識は必須であると考え捕虜資格のことを書いたのであった。

 この二つとも筆者の書いたものであったが、削除されてしまうという事態を受けて、検定教科書の限界を感じざるを得なくなった。検定教科書に、筆者の書きたいこと、いや中学生が知るべき最低限の公民的素養を書き込むことは不可能であると思うようになった。

 この想いとは別に、前回記したように、政治への落胆から、政治家などの大人に読んでもらう公民教科書をつくりたいと思うようになった。大人に読んでもらうならば、中学校用公民教科書ではなく、ストレートに大人用の公民教科書を執筆する方が早道である。大人用の公民教科書ならば、令和元年度検定で削除されてしまった《国民主権と立憲主義の対立》や「捕虜資格について知っておこう」という記述も掲載することができるのではないか。このような次第で、『大人のための公民教科書』を刊行しようと考えたわけである。

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