『大人のための公民教科書』を書こうと思った動機――日本復興の希望を繋ぐこと
詰んでしまった日本を復興させるために本書を書いた
今年の3月末、『大人のための公民教科書――日本復興の希望を繋ぐために』を書き上げた。今は校正の最中だが、出版は6月になると思われる。この本は、私の単著としては7年ぶりのものとなる。副題を「日本復興の希望を繋ぐために」としたのは、本書を書き上げていく中で分かったのは、理論的に日本は多くの点で詰んでしまっていると理解したからである。しかし、むざむざと滅亡させていくわけにはいかない、そんなことでは死ぬに死ねない。何とか復興への道筋を見出しておきたいと考え、「希望」という言葉を入れることにした。
日本復興のための基本政策
実際、本書を書き上げてしまう中で、復興のために日本が行うべきことが体系的に分かってきた。本書は、日本が詰んでしまっていることを示すとともに、同時に復興のためにすべき対策を示した「日本復興計画書」にもなっていると感じた。本書から読み取れる日本復興のための基本政策は、以下のようなものとなる。関連する章部分を示しておく。
1 自虐史観の一掃 序章と第2章で少し触れている。
2 「日本国憲法」の無効確認 第2章
・とりあえず自衛戦力と交戦権肯定の第9条解釈の確立 第3章
3 「新皇室典範」無効確認、11宮家臣籍降下の無効確認 第2章
・11宮家の皇籍復帰
4 信用貨幣論、国債=究極の貨幣論に立つこと 第4章
・とりあえず、消費税を廃止すること
5 地球温暖化人工説を否定し脱炭素政策から抜け出ること 終章
本書を書きだす前には、2のことだけは多少とも頭にあったが、残りの4点は頭の中になかった。何稿か書き直すなかで考えを進めるうちに、残りの4点のことに思い至り、3・4・5のことについても書き記していった。1の点は『公民教科書』という性格から基本的に扱わないことにした。
国家論を理解していない政治家
しかし、なぜ、私は『大人のための公民教科書』を書こうと思ったのか。書こうと思い出したころ、書き出したころには「復興」のためなどとは考えていなかった。『大人のための公民教科書』を書こうと思ったのは、政治の現実を観察し続けると落胆することばかりだったからである。
元々、私はそんなに政治観察が好きというわけではなかったが、公民教科書史の研究を行い公民教科書執筆に関わってきた関係から、この20年間ほど、政治の現実に関心を持つようになってきた。政治の現実を観察し続けると、本当にがっかりすることばかりだった。この政治に対する落胆が、『大人のための公民教科書』刊行の背景にはある。
すなわち、壊れてしまったとしか思えない日本政治の現実は、端的に云えば、日本のリーダー層における公民思想の欠如、とりわけ国家論の欠如からくるものである。『新しい公民教科書』は3版以降、近代国民国家は防衛、社会資本の整備、法秩序・社会秩序の維持、国民一人ひとりの権利保障という4つの役割を担っていると記した。
4つの役割を眺めてみると、どんな立場からしても、戦後の日本国家が防衛という一番大事な役割を捨ててしまったことは直ぐに了解できることである。ただし、拙著『自衛戦力と交戦権を肯定せよ』(自由社、2017年)で展開したように、自衛戦力と交戦権を肯定する「日本国憲法」解釈はいかようにもできたことであり、できることである。しかし、「憲法学者」と政治家や官僚が、両者を肯定する解釈の採用を拒否してきたのである。
二番目に重要な社会資本の整備という役割も、日本国家は25年ほど前に放棄してしまっている。経済における国家の役割とは公共財の整備と確保だが、数々の公共財を民間(外国を含む)に売り渡してしまい、社会資本がガタガタになってしまっている。そうなった直接の原因は、財務省が均衡財政主義を説き、政治家と国民を洗脳し続けたことであるが、政治家が国家の第二の役割について理解していなかったことの方が本質的な原因である。
法秩序・社会秩序の維持という第三の役割も、私には崩壊し始めているように見える。不法入国した外国人は野放しになっているし、犯罪を犯して捕まってもすぐに釈放されている。バイデン政権が不法入国者を優遇する政策をとっていることを見倣っているのだろうか。アメリカの民主党が支配する州では、950ドルまでの窃盗は事実上罰しないという法律をつくったため、小売店が略奪されているが、このアメリカ民主党の政策を見倣っているのだろうか。
基本的人権の思想さえも理解していない政治家
国民一人ひとりの権利保障という第四の役割も急速に壊れてきている。特にヘイトスピーチ解消法によって、日本人は日本国内で差別されても文句の言えない存在となった。この法律は、ほぼ国会議員の全員一致によってつくられたものであるが、「法の下の平等」に反する、人種差別撤廃条約にも反する、とんでもない日本人差別法である。この法律が通ったとき、国会審議中ほぼ一人で反対の論陣を張っていた私は本当に落胆したし、本当に驚いた。日本の政治家というのは、法の精神を持っていないし、基本的人権の思想も全く理解していないことに気付いてしまった。
しかし、それ以上にがっくり来る出来事が発生した。2021年以来3年間にわたって、日本人は新型コロナワクチンの危険性も副作用も知らされないまま(つまりインフォームド・コンセントを保障されないまま)、何回もワクチンを打たれ続けてきた。生命・身体の自由さえも、国家によって、すなわち政治家たちによって侵害され続けてきたのである。
以上の事態を眺めていて、政治家たちは、本当に国家論も基本的人権の思想も理解していないと思わざるを得なかった。さらに言えば、政治家を補佐する官僚だけではなく、ヘイトスピーチ解消法の報道をほとんどせず、ワクチンの危険性を全く報道しなかったマスコミも、同じく国家論も基本的人権の思想も理解していないことに気付かざるを得なかった。政治が出鱈目になるのも当然なのである。
大人が公民思想を学ぶ教科書をつくりたい
では、なぜ、政治家、官僚、マスコミの人たちは、これらのことを理解しないまま、その仕事に就いているのだろうか。それは、私に言わせれば、政治家など日本のリーダーたちが家族、地域社会、国家、国際社会といった4段階の社会論を学ばないまま、あるいは政治、経済、社会、国際社会といった分野に関する公民的素養を身につけないまま、リーダーになってきたことに由来する。そこで、大人自身が国家論や基本的人権論を初めとした公民的素養を学ぶ必要があると考え、『大人のための公民教科書』を刊行しようと考えたわけである。
転載自由
今年の3月末、『大人のための公民教科書――日本復興の希望を繋ぐために』を書き上げた。今は校正の最中だが、出版は6月になると思われる。この本は、私の単著としては7年ぶりのものとなる。副題を「日本復興の希望を繋ぐために」としたのは、本書を書き上げていく中で分かったのは、理論的に日本は多くの点で詰んでしまっていると理解したからである。しかし、むざむざと滅亡させていくわけにはいかない、そんなことでは死ぬに死ねない。何とか復興への道筋を見出しておきたいと考え、「希望」という言葉を入れることにした。
日本復興のための基本政策
実際、本書を書き上げてしまう中で、復興のために日本が行うべきことが体系的に分かってきた。本書は、日本が詰んでしまっていることを示すとともに、同時に復興のためにすべき対策を示した「日本復興計画書」にもなっていると感じた。本書から読み取れる日本復興のための基本政策は、以下のようなものとなる。関連する章部分を示しておく。
1 自虐史観の一掃 序章と第2章で少し触れている。
2 「日本国憲法」の無効確認 第2章
・とりあえず自衛戦力と交戦権肯定の第9条解釈の確立 第3章
3 「新皇室典範」無効確認、11宮家臣籍降下の無効確認 第2章
・11宮家の皇籍復帰
4 信用貨幣論、国債=究極の貨幣論に立つこと 第4章
・とりあえず、消費税を廃止すること
5 地球温暖化人工説を否定し脱炭素政策から抜け出ること 終章
本書を書きだす前には、2のことだけは多少とも頭にあったが、残りの4点は頭の中になかった。何稿か書き直すなかで考えを進めるうちに、残りの4点のことに思い至り、3・4・5のことについても書き記していった。1の点は『公民教科書』という性格から基本的に扱わないことにした。
国家論を理解していない政治家
しかし、なぜ、私は『大人のための公民教科書』を書こうと思ったのか。書こうと思い出したころ、書き出したころには「復興」のためなどとは考えていなかった。『大人のための公民教科書』を書こうと思ったのは、政治の現実を観察し続けると落胆することばかりだったからである。
元々、私はそんなに政治観察が好きというわけではなかったが、公民教科書史の研究を行い公民教科書執筆に関わってきた関係から、この20年間ほど、政治の現実に関心を持つようになってきた。政治の現実を観察し続けると、本当にがっかりすることばかりだった。この政治に対する落胆が、『大人のための公民教科書』刊行の背景にはある。
すなわち、壊れてしまったとしか思えない日本政治の現実は、端的に云えば、日本のリーダー層における公民思想の欠如、とりわけ国家論の欠如からくるものである。『新しい公民教科書』は3版以降、近代国民国家は防衛、社会資本の整備、法秩序・社会秩序の維持、国民一人ひとりの権利保障という4つの役割を担っていると記した。
4つの役割を眺めてみると、どんな立場からしても、戦後の日本国家が防衛という一番大事な役割を捨ててしまったことは直ぐに了解できることである。ただし、拙著『自衛戦力と交戦権を肯定せよ』(自由社、2017年)で展開したように、自衛戦力と交戦権を肯定する「日本国憲法」解釈はいかようにもできたことであり、できることである。しかし、「憲法学者」と政治家や官僚が、両者を肯定する解釈の採用を拒否してきたのである。
二番目に重要な社会資本の整備という役割も、日本国家は25年ほど前に放棄してしまっている。経済における国家の役割とは公共財の整備と確保だが、数々の公共財を民間(外国を含む)に売り渡してしまい、社会資本がガタガタになってしまっている。そうなった直接の原因は、財務省が均衡財政主義を説き、政治家と国民を洗脳し続けたことであるが、政治家が国家の第二の役割について理解していなかったことの方が本質的な原因である。
法秩序・社会秩序の維持という第三の役割も、私には崩壊し始めているように見える。不法入国した外国人は野放しになっているし、犯罪を犯して捕まってもすぐに釈放されている。バイデン政権が不法入国者を優遇する政策をとっていることを見倣っているのだろうか。アメリカの民主党が支配する州では、950ドルまでの窃盗は事実上罰しないという法律をつくったため、小売店が略奪されているが、このアメリカ民主党の政策を見倣っているのだろうか。
基本的人権の思想さえも理解していない政治家
国民一人ひとりの権利保障という第四の役割も急速に壊れてきている。特にヘイトスピーチ解消法によって、日本人は日本国内で差別されても文句の言えない存在となった。この法律は、ほぼ国会議員の全員一致によってつくられたものであるが、「法の下の平等」に反する、人種差別撤廃条約にも反する、とんでもない日本人差別法である。この法律が通ったとき、国会審議中ほぼ一人で反対の論陣を張っていた私は本当に落胆したし、本当に驚いた。日本の政治家というのは、法の精神を持っていないし、基本的人権の思想も全く理解していないことに気付いてしまった。
しかし、それ以上にがっくり来る出来事が発生した。2021年以来3年間にわたって、日本人は新型コロナワクチンの危険性も副作用も知らされないまま(つまりインフォームド・コンセントを保障されないまま)、何回もワクチンを打たれ続けてきた。生命・身体の自由さえも、国家によって、すなわち政治家たちによって侵害され続けてきたのである。
以上の事態を眺めていて、政治家たちは、本当に国家論も基本的人権の思想も理解していないと思わざるを得なかった。さらに言えば、政治家を補佐する官僚だけではなく、ヘイトスピーチ解消法の報道をほとんどせず、ワクチンの危険性を全く報道しなかったマスコミも、同じく国家論も基本的人権の思想も理解していないことに気付かざるを得なかった。政治が出鱈目になるのも当然なのである。
大人が公民思想を学ぶ教科書をつくりたい
では、なぜ、政治家、官僚、マスコミの人たちは、これらのことを理解しないまま、その仕事に就いているのだろうか。それは、私に言わせれば、政治家など日本のリーダーたちが家族、地域社会、国家、国際社会といった4段階の社会論を学ばないまま、あるいは政治、経済、社会、国際社会といった分野に関する公民的素養を身につけないまま、リーダーになってきたことに由来する。そこで、大人自身が国家論や基本的人権論を初めとした公民的素養を学ぶ必要があると考え、『大人のための公民教科書』を刊行しようと考えたわけである。
転載自由
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