4月28日の記、不憫な『新しい公民教科書』
ずいぶん、ブログを更新していない。その理由は様々だ。忙しいからの時もあるし、書こうと思っても、頭や精神の整理がつかないからの時もある。しかし、ほんの1日弱、ブログに時間を使ってもよいと思われる時が訪れたから、ブログ日記的なものを記しておこうと思う。
1月までは検定対応
今年になってからのことを記すならば、昨年11月と12月に続いて1月はほぼ検定対応で追われた。労働的にはあまり働いていないが、精神のスタミナは検定対応だけで消耗した。何しろ、検定側が特にひどいわけではないが、その9条真理教との論争というか闘いは、こちらには勝ちがないだけに本当に精神を消耗することになる。肉体的な疲れはないが、精神的には又もどっと疲れてしまった。とはいえ、4年前の前回とは違い労働量は少なかったから、身体の休養にはなった。
『大人のための公民教科書』に向かっていた2月と3月
2月、3月は、1月の休養が効いたのか、検定のことを頭の片隅におきながら、『大人のための公民教科書--日本復興の希望を繋ぐために』作成にもっぱら集中した。2月段階はそうでもなかったが、3月段階のこの作業は非常に楽しかった。3月は本当に忙しかったが、作業の中でいろいろな勉強をできたし、いろいろな発見をすることができたし、『新しい公民教科書』のことを忘れていられた。文句なく楽しかった。検定という枠組み、その背後にある「戦後レジーム」の枠組みから自由に自分の思う通りに、自分の思想に忠実に文章を記すことができたからだ。
この楽しさは、5年ぶりか6年ぶりだった。『新しい公民教科書』作成室に閉じこもっていた6年間には経験したことのない楽しさだった。6年前までは、特に退職してからの5年ほどはこの楽しさを半分ほどの時間は味わいながら暮らしていたのだ。そのことを思い出した。
この数年ぶりの楽しさを味わったため、3月末に原稿を完成させたとき、6年間の「牢獄生活」から抜け出せるような気がした。少なくとも牢獄の出口に足をかけた瞬間だった。
不憫な『新しい公民教科書』
しかし、4月になって、再び『新しい公民教科書』に向き合うことになった。3日から7日までかけて、『史」に『新しい公民教科書』の長所などを記す記事を50枚ほど?書いた。その後の校正期間でも、否応なく、この教科書に向き合うことになった。そして、否応なく『新しい公民教科書』の置かれた位置のことを考えた。それ以来本当に不憫だなと思うようになった。それは、作者である私自身が不憫であるということでもあるが、そのことよりも一つの存在として20年以上存在し続けている『新しい公民教科書』は本当に不憫な存在だと思うようになった。この感覚は、書いている今も溢れてきている。
昨日、『新しい歴史教科書』市販本出版記念の集会がもたれたようだ。この集会のことを知ったのは3月12日?だった。『新しい公民教科書』の方は金がないという理由から市販本も出せなかった。そのことはしょうがないと理解していたが、集会のことを知ったとき、「えっ『新しい歴史教科書』市販本出版記念の集会をやるのかよ」と思った。『新しい公民教科書』は、『新しい歴史教科書』より二段階低い位置付けをされたのだなと感じた。本当に、『新しい公民教科書』は不憫な存在である。4年前(正確には5年前)に『新しい歴史教科書』が不合格になったとき、
それでも「つくる会」運動が継続してきた一つの理由は『新しい公民教科書』の検定合格と市販本の存在であった。これは公民教科書作成に携わった人たちにしか分からない理由かもしれないが、恐らく当たっていると私は思っている。にもかかわらず、市販本さえ出さないということは、やはり『新しい公民教科書』に対する我々の不義理ではないかと感じている。
いろいろ考えるうちに、市販本を出さないことのディメリットに気付いていった。考えてみれば、『新しい公民教科書』の市販本がない状態は、自由社から出すようになってからも初めてのことである。平成27年の時はそもそも検定申請できなかったが、平成23年の時も、令和2年の時も市販本はあった。それゆえ、市販本を通じて『新しい公民教科書』の内容を宣伝することもできた。しかし、今回は、それができなくなったようだ。市販本を出せないと言われたときはもう一つわかっていなかったが、今になって、そのことが少しずつ分かってきて落胆している。と同時に、『新しい公民教科書』の不憫さを強く思うようになっている。
体力の衰えとどう付き合っていくか
それはともかく、私自身のことに戻ると、私は、2月3月と2月頑張った後、4月になってから気を多少とも意識的に抜く形で仕事をこなしている。そして、『新しい公民教科書』に向き合うと落ち込み、『大人のための公民教科書』に向き合うと元気になる。それを繰り返している。それゆえ、精神状態は、いつも『新しい公民教科書』のことが圧し掛かっていた2020年以降では一番良い状態が続いている。しかし、だからといって身体の状態がよくなったわけでもない。このところ、『史』原稿を書き上げた後の4月8日ころから頭痛がひどい。そして35年ほど続いているが、首が痛い。今日は腹もいたい。後期高齢者になったからか、体力の衰えは受け入れていくしかないのであろう。
突然『大人のための公民教科書』という単語を出したが、この本のことは改めて報告することにする。
追記 4月29日
今日は逆上せがひどい。どうにも辛くて、校正にかかれない。1時間弱眠ったが、まだ逆上せが半減した程度だ。精神は楽になっても、身体の辛さは、2,3月の疲れもあるのだろうが、少しずつ積み重なっていく。無理しないで、休みながら仕事をこなしていくしかないようだ。
再追記 5月3日、風邪を引いたか
本日は、2校目ゲラの2回目校正にかかろうとしたが、腹が痛くて体全体が辛くてなかなかかかれなかった。後1時間程度の仕事だったから終わらせてから休もうと思ったが、どうにもならないので2時間近く眠って少し元気を回復させてから2回目校正を終わらせた。夕方あたりから頭がしんどくて少し熱っぽくなったから風邪の初期症状ではないかと思っている。
今日は別に理由が明確にあるわけではないが、体調の悪さも影響しているのか、気分も落ち込んだままだ。本日は『新しい歴史教科書』の市販本が送られてきた。その封筒の中には、各社現行版の分析資料が込められていた。チームを組んで現行版の分析をしてきたようだ。このこと自身はいいことなのだが、落ち込んでいた気分がこの市販本が来たことを確認して更に落ち込んだ。『新しい公民教科書』の方も市販本があればなと思った。二段階の差を現物で確認することになった。
つくる会にとって、『新しい公民教科書』というのは何なのだろうか。いろいろ昔のことを思い出したが、平成26年度検定に歴史だけを申請したという報告をしたときに、本ブログに文句を言ってきた人が2人ほどいたように記憶している。そんなことでよいのかという批判であったが、到底金がないという事情は私も知っていたので検定申請しないのは「しょうがない」と思っていたから「つくる会」本部を擁護する回答をしたように憶えている。
だが、今になって、文句を言ってきた人の危惧は当たっていたのだと思う。当時は、『新しい公民教科書』作成も『新しい歴史教科書』作成と同じく「つくる会」の事業として、一般的な意識の中で、今よりは承認されていたということであろう。だが、一度、検定申請しなかった付けは大きかった。それまでに少しは公民教科書に対する関心が社会の中に芽生えていたのに、白紙状態になってしまった。そして、常にすべての面においては後回しになっていった。
後回しは昔からではあるが、昔の方が落差は少なかったように思う。前回での落差は異常にすさまじかった。今回は前回に比べればはるかにましなのだが、前回令和2年度検定の時には『新しい公民教科書』に対する差別待遇という問題意識はなかった。今回は前回の経験をふまえて、差別待遇という問題意識が芽生えてしまった状態であり続けているから心の処理が厄介である。
結局、『新しい公民教科書』は信じられないほどに軽い位置付けをされ、軽い扱いをされている。この2、3か月、何かにつけて、そのことを再確認させられつづけている。今回の教科書作成では、ほぼ普通に事を運ぶことができたからよかったが、やはり『新しい公民教科書』の軽い位置付けは、私を苦しめ続けている。しかし、公民思想、国家思想の欠如こそが、自虐史観よりも日本を亡ぼしていく大きな要因なのだ。そのことに「つくる会」会員も、日本国民全体も気付かなければならない。自虐史観だけ正しても、具体的にどういう政策を実施すればよいのか、その答えは出てこないからである。
ともあれ、明日から、しばらく『大人のための公民教科書』のことに集中することにする。精神の平衡を保つためにも。
転載不可
1月までは検定対応
今年になってからのことを記すならば、昨年11月と12月に続いて1月はほぼ検定対応で追われた。労働的にはあまり働いていないが、精神のスタミナは検定対応だけで消耗した。何しろ、検定側が特にひどいわけではないが、その9条真理教との論争というか闘いは、こちらには勝ちがないだけに本当に精神を消耗することになる。肉体的な疲れはないが、精神的には又もどっと疲れてしまった。とはいえ、4年前の前回とは違い労働量は少なかったから、身体の休養にはなった。
『大人のための公民教科書』に向かっていた2月と3月
2月、3月は、1月の休養が効いたのか、検定のことを頭の片隅におきながら、『大人のための公民教科書--日本復興の希望を繋ぐために』作成にもっぱら集中した。2月段階はそうでもなかったが、3月段階のこの作業は非常に楽しかった。3月は本当に忙しかったが、作業の中でいろいろな勉強をできたし、いろいろな発見をすることができたし、『新しい公民教科書』のことを忘れていられた。文句なく楽しかった。検定という枠組み、その背後にある「戦後レジーム」の枠組みから自由に自分の思う通りに、自分の思想に忠実に文章を記すことができたからだ。
この楽しさは、5年ぶりか6年ぶりだった。『新しい公民教科書』作成室に閉じこもっていた6年間には経験したことのない楽しさだった。6年前までは、特に退職してからの5年ほどはこの楽しさを半分ほどの時間は味わいながら暮らしていたのだ。そのことを思い出した。
この数年ぶりの楽しさを味わったため、3月末に原稿を完成させたとき、6年間の「牢獄生活」から抜け出せるような気がした。少なくとも牢獄の出口に足をかけた瞬間だった。
不憫な『新しい公民教科書』
しかし、4月になって、再び『新しい公民教科書』に向き合うことになった。3日から7日までかけて、『史」に『新しい公民教科書』の長所などを記す記事を50枚ほど?書いた。その後の校正期間でも、否応なく、この教科書に向き合うことになった。そして、否応なく『新しい公民教科書』の置かれた位置のことを考えた。それ以来本当に不憫だなと思うようになった。それは、作者である私自身が不憫であるということでもあるが、そのことよりも一つの存在として20年以上存在し続けている『新しい公民教科書』は本当に不憫な存在だと思うようになった。この感覚は、書いている今も溢れてきている。
昨日、『新しい歴史教科書』市販本出版記念の集会がもたれたようだ。この集会のことを知ったのは3月12日?だった。『新しい公民教科書』の方は金がないという理由から市販本も出せなかった。そのことはしょうがないと理解していたが、集会のことを知ったとき、「えっ『新しい歴史教科書』市販本出版記念の集会をやるのかよ」と思った。『新しい公民教科書』は、『新しい歴史教科書』より二段階低い位置付けをされたのだなと感じた。本当に、『新しい公民教科書』は不憫な存在である。4年前(正確には5年前)に『新しい歴史教科書』が不合格になったとき、
それでも「つくる会」運動が継続してきた一つの理由は『新しい公民教科書』の検定合格と市販本の存在であった。これは公民教科書作成に携わった人たちにしか分からない理由かもしれないが、恐らく当たっていると私は思っている。にもかかわらず、市販本さえ出さないということは、やはり『新しい公民教科書』に対する我々の不義理ではないかと感じている。
いろいろ考えるうちに、市販本を出さないことのディメリットに気付いていった。考えてみれば、『新しい公民教科書』の市販本がない状態は、自由社から出すようになってからも初めてのことである。平成27年の時はそもそも検定申請できなかったが、平成23年の時も、令和2年の時も市販本はあった。それゆえ、市販本を通じて『新しい公民教科書』の内容を宣伝することもできた。しかし、今回は、それができなくなったようだ。市販本を出せないと言われたときはもう一つわかっていなかったが、今になって、そのことが少しずつ分かってきて落胆している。と同時に、『新しい公民教科書』の不憫さを強く思うようになっている。
体力の衰えとどう付き合っていくか
それはともかく、私自身のことに戻ると、私は、2月3月と2月頑張った後、4月になってから気を多少とも意識的に抜く形で仕事をこなしている。そして、『新しい公民教科書』に向き合うと落ち込み、『大人のための公民教科書』に向き合うと元気になる。それを繰り返している。それゆえ、精神状態は、いつも『新しい公民教科書』のことが圧し掛かっていた2020年以降では一番良い状態が続いている。しかし、だからといって身体の状態がよくなったわけでもない。このところ、『史』原稿を書き上げた後の4月8日ころから頭痛がひどい。そして35年ほど続いているが、首が痛い。今日は腹もいたい。後期高齢者になったからか、体力の衰えは受け入れていくしかないのであろう。
突然『大人のための公民教科書』という単語を出したが、この本のことは改めて報告することにする。
追記 4月29日
今日は逆上せがひどい。どうにも辛くて、校正にかかれない。1時間弱眠ったが、まだ逆上せが半減した程度だ。精神は楽になっても、身体の辛さは、2,3月の疲れもあるのだろうが、少しずつ積み重なっていく。無理しないで、休みながら仕事をこなしていくしかないようだ。
再追記 5月3日、風邪を引いたか
本日は、2校目ゲラの2回目校正にかかろうとしたが、腹が痛くて体全体が辛くてなかなかかかれなかった。後1時間程度の仕事だったから終わらせてから休もうと思ったが、どうにもならないので2時間近く眠って少し元気を回復させてから2回目校正を終わらせた。夕方あたりから頭がしんどくて少し熱っぽくなったから風邪の初期症状ではないかと思っている。
今日は別に理由が明確にあるわけではないが、体調の悪さも影響しているのか、気分も落ち込んだままだ。本日は『新しい歴史教科書』の市販本が送られてきた。その封筒の中には、各社現行版の分析資料が込められていた。チームを組んで現行版の分析をしてきたようだ。このこと自身はいいことなのだが、落ち込んでいた気分がこの市販本が来たことを確認して更に落ち込んだ。『新しい公民教科書』の方も市販本があればなと思った。二段階の差を現物で確認することになった。
つくる会にとって、『新しい公民教科書』というのは何なのだろうか。いろいろ昔のことを思い出したが、平成26年度検定に歴史だけを申請したという報告をしたときに、本ブログに文句を言ってきた人が2人ほどいたように記憶している。そんなことでよいのかという批判であったが、到底金がないという事情は私も知っていたので検定申請しないのは「しょうがない」と思っていたから「つくる会」本部を擁護する回答をしたように憶えている。
だが、今になって、文句を言ってきた人の危惧は当たっていたのだと思う。当時は、『新しい公民教科書』作成も『新しい歴史教科書』作成と同じく「つくる会」の事業として、一般的な意識の中で、今よりは承認されていたということであろう。だが、一度、検定申請しなかった付けは大きかった。それまでに少しは公民教科書に対する関心が社会の中に芽生えていたのに、白紙状態になってしまった。そして、常にすべての面においては後回しになっていった。
後回しは昔からではあるが、昔の方が落差は少なかったように思う。前回での落差は異常にすさまじかった。今回は前回に比べればはるかにましなのだが、前回令和2年度検定の時には『新しい公民教科書』に対する差別待遇という問題意識はなかった。今回は前回の経験をふまえて、差別待遇という問題意識が芽生えてしまった状態であり続けているから心の処理が厄介である。
結局、『新しい公民教科書』は信じられないほどに軽い位置付けをされ、軽い扱いをされている。この2、3か月、何かにつけて、そのことを再確認させられつづけている。今回の教科書作成では、ほぼ普通に事を運ぶことができたからよかったが、やはり『新しい公民教科書』の軽い位置付けは、私を苦しめ続けている。しかし、公民思想、国家思想の欠如こそが、自虐史観よりも日本を亡ぼしていく大きな要因なのだ。そのことに「つくる会」会員も、日本国民全体も気付かなければならない。自虐史観だけ正しても、具体的にどういう政策を実施すればよいのか、その答えは出てこないからである。
ともあれ、明日から、しばらく『大人のための公民教科書』のことに集中することにする。精神の平衡を保つためにも。
転載不可
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