「日本解体新計画書」としての公民教科書(11)――狙いは家族、私有財産と日本国家の否定 『史』令和6年1月号より
《「日本解体新計画書」としての公民教科書》というシリーズの最終回を、『史』から転載する。これを読み返してみて、平成17(2005)年の『公民教科書は何を教えてきたのか』(展転社)以来、公民教科書に関して私はほとんど同じことを主張してきたのだなと思った。私の主張である《家族・私有財産・国家の擁護》という思想は少しだけ浸透していった感があったが、平成13、14(2012)年以降、むしろ世の中から完全に消されていった。それが10年ほど経って端的に現れたのが、親の懲戒権削除であり、LGBT法の可決であった。完全に、家族解体の思想の広がりを示すものだ。
令和2(2020)年の『新しい公民教科書』4版で再度この思想を展開することができたが、「つくる会」の中でさえ、ほとんど広がりを見せていない。何ともなぁという感じだ。後退戦の中でどうしようもなかったことだが、平成26(2014)年度検定に『新しい公民教科書』の検定申請を行わなかったことが、決定的に響いてしまった。
私の述べてきたことはともかくとして、この論考の中で述べているように、グローバリストと共産主義者は、ともに《家族・私有財産・国家の解体》を目指していることに注目されたい。ともあれ、ご一読をお願いしたい。
「日本解体新計画書」としての公民教科書(11)――狙いは家族、私有財産と日本国家の否定
『新しい公民教科書』代表執筆者 小山常実
家族、私有財産、国家の否定
10回にわたって、公民教科書の性格について述べてきた。公民教科書の第一の役割は、偽憲法とも言うべき「日本国憲法」を憲法に偽装することだった。そのために、憲法学や歴史学とともに真実の「日本国憲法」成立過程史を隠蔽し続けてきた【本シリーズ6と7】。
内容面に注意を払えば、公民教科書の特徴は、何よりも家族、私有財産、国家の否定ということにある。公民教科書は、もともと共産党や共産主義思想に大きな影響を受けてきたが、21世紀に入ると、グローバリズムにも強く支配されるようになる。共産主義者とグローバリストは、対立しあうようでいて実は同じことを考えている。両者は、絆を切られてバラバラに解体された平等な原子的(アトム的)個人の形成を目指してきた。当然に絆を切られた原子的個人は無力な存在となり、自立した存在ではなくなり、権力者に隷従する存在となる。
そういうバラバラな原子的個人を生み出すために、両者は、家族、私有財産、国家を思想的に攻撃し続けてきた。三者の価値を推奨すると、特に家族と国家の価値を推奨すると、ファシスト、人種差別主義者、極右と攻撃してきた。
その理屈は、マルクスの相棒であるエンゲルス以来、基本的に変わらない。〈家族は女性差別、女性抑圧の根源である〉、〈私有財産は不平等を生み出す根源である〉、〈国家は不平等を固定化し国民を抑圧する装置だ、国家があるから戦争が無くならない〉というものである。例えば、グローバリスト・国際金融資本家の総本山とみなされる国際経済フォーラム(ダボス会議、クラウス・シュワブ会長)は、2030年までの私有財産廃止の目標を立てている。
公民教科書に話を戻すと、公民教科書では、戦後一貫して、国家論も私有財産制の意義も説かれてこなかった。家族論は大家族制を否定しながらも展開されてきたが、平成20(2008)年学習指導要領の改訂とともに、グローバリズム礼賛が行われ家族論は展開しなくてもよくなった。その結果、今日では、家族論を単元扱いする教科書は2社だけとなり、国家論と私有財産制論を展開するのも1、2社だけとなった。家族論、私有財産制論、国家論のすべてを展開する教科書は、『新しい公民教科書』だけである。『新しい公民教科書』だけが、家族、私有財産、国家を擁護する思想的拠点となっている【1と8と10】。
日本国家の否定、国連幻想の流布
公民教科書は単に一般的に国家を否定するだけではない。個別の日本国家自体を弱体化し、否定しようとするものである。まず公民教科書は、国家機関の中で最も重要な天皇に関する教育をほとんどしてこなかった。ある程度教育するようになった今日でも、決して天皇が権威であること、元首であることを教えようとはしない【9】。独立国家にとって権威・元首は必須の機関であるが、それについて教えないのである。
また第9条解釈については、国際法と国家論からすれば絶対に肯定しなければならないはずの自衛戦力を否定し続けてきた。この自衛戦力否定説の立場から、政府の自衛隊合憲論とともに自衛隊違憲論を紹介してきた。しかも、自衛戦力否定説を合理化するために、今日でも多数派教科書は、日本はアジア太平洋地域を侵略したとか、多大な損害を与えたなどの自虐史観を維持し続けている【4】。自衛戦力を否定するということは、自衛隊を軍隊とせず基本的に警察として扱うということである。したがって、自衛戦力否定説に立つ限り、自主防衛体制は構築できないし、日本が独立国になることは不可能となる。いや、他国の侵略を誘発し、日本国家の滅亡を招来することになる。
日本に軍隊は不要だという考え方は、国連を平和的な正義の機構だと妄信する国連幻想、お花畑世界観によって合理化されている。国連を美化するために公民教科書は、国連の正式名称が「聯合国」であること、国連憲章には日本を差別する敵国条項が存在することを隠蔽してきたのである【5】。
国民を分断する
さらに言えば、日本弱体化のために一番有力な方法は、国民の分断である。そのためにグローバリストと共産主義者は、世界各国で各種の差別問題を利用する手口を使ってきた。彼らは、いろいろな分野におけるマイノリティー(少数派)に寄り添うふりをして、マイノリティのアイデンティーを必要以上に刺激拡大し、多数派を攻撃させてきた。その結果、国民は分断され、社会秩序が破壊されてきた。日本の公民教科書の中にも、この手口が持ち込まれている。例えば虚構のアイヌ先住民族説がいち早く展開され続けてきた【3】。また、10年ほど前までは在日韓国・朝鮮人に選挙権を与えないのは差別だという教育が行われてきたし、最近では「日本国憲法」にさえも違反して在日外国人に選挙権を与えようという教育が行われている【2】。
このように見てくるならば、公民教科書は、「日本解体計画書」である「日本国憲法」をバージョンアップした「日本解体新計画書」であると位置づけられよう。
転載自由
令和2(2020)年の『新しい公民教科書』4版で再度この思想を展開することができたが、「つくる会」の中でさえ、ほとんど広がりを見せていない。何ともなぁという感じだ。後退戦の中でどうしようもなかったことだが、平成26(2014)年度検定に『新しい公民教科書』の検定申請を行わなかったことが、決定的に響いてしまった。
私の述べてきたことはともかくとして、この論考の中で述べているように、グローバリストと共産主義者は、ともに《家族・私有財産・国家の解体》を目指していることに注目されたい。ともあれ、ご一読をお願いしたい。
「日本解体新計画書」としての公民教科書(11)――狙いは家族、私有財産と日本国家の否定
『新しい公民教科書』代表執筆者 小山常実
家族、私有財産、国家の否定
10回にわたって、公民教科書の性格について述べてきた。公民教科書の第一の役割は、偽憲法とも言うべき「日本国憲法」を憲法に偽装することだった。そのために、憲法学や歴史学とともに真実の「日本国憲法」成立過程史を隠蔽し続けてきた【本シリーズ6と7】。
内容面に注意を払えば、公民教科書の特徴は、何よりも家族、私有財産、国家の否定ということにある。公民教科書は、もともと共産党や共産主義思想に大きな影響を受けてきたが、21世紀に入ると、グローバリズムにも強く支配されるようになる。共産主義者とグローバリストは、対立しあうようでいて実は同じことを考えている。両者は、絆を切られてバラバラに解体された平等な原子的(アトム的)個人の形成を目指してきた。当然に絆を切られた原子的個人は無力な存在となり、自立した存在ではなくなり、権力者に隷従する存在となる。
そういうバラバラな原子的個人を生み出すために、両者は、家族、私有財産、国家を思想的に攻撃し続けてきた。三者の価値を推奨すると、特に家族と国家の価値を推奨すると、ファシスト、人種差別主義者、極右と攻撃してきた。
その理屈は、マルクスの相棒であるエンゲルス以来、基本的に変わらない。〈家族は女性差別、女性抑圧の根源である〉、〈私有財産は不平等を生み出す根源である〉、〈国家は不平等を固定化し国民を抑圧する装置だ、国家があるから戦争が無くならない〉というものである。例えば、グローバリスト・国際金融資本家の総本山とみなされる国際経済フォーラム(ダボス会議、クラウス・シュワブ会長)は、2030年までの私有財産廃止の目標を立てている。
公民教科書に話を戻すと、公民教科書では、戦後一貫して、国家論も私有財産制の意義も説かれてこなかった。家族論は大家族制を否定しながらも展開されてきたが、平成20(2008)年学習指導要領の改訂とともに、グローバリズム礼賛が行われ家族論は展開しなくてもよくなった。その結果、今日では、家族論を単元扱いする教科書は2社だけとなり、国家論と私有財産制論を展開するのも1、2社だけとなった。家族論、私有財産制論、国家論のすべてを展開する教科書は、『新しい公民教科書』だけである。『新しい公民教科書』だけが、家族、私有財産、国家を擁護する思想的拠点となっている【1と8と10】。
日本国家の否定、国連幻想の流布
公民教科書は単に一般的に国家を否定するだけではない。個別の日本国家自体を弱体化し、否定しようとするものである。まず公民教科書は、国家機関の中で最も重要な天皇に関する教育をほとんどしてこなかった。ある程度教育するようになった今日でも、決して天皇が権威であること、元首であることを教えようとはしない【9】。独立国家にとって権威・元首は必須の機関であるが、それについて教えないのである。
また第9条解釈については、国際法と国家論からすれば絶対に肯定しなければならないはずの自衛戦力を否定し続けてきた。この自衛戦力否定説の立場から、政府の自衛隊合憲論とともに自衛隊違憲論を紹介してきた。しかも、自衛戦力否定説を合理化するために、今日でも多数派教科書は、日本はアジア太平洋地域を侵略したとか、多大な損害を与えたなどの自虐史観を維持し続けている【4】。自衛戦力を否定するということは、自衛隊を軍隊とせず基本的に警察として扱うということである。したがって、自衛戦力否定説に立つ限り、自主防衛体制は構築できないし、日本が独立国になることは不可能となる。いや、他国の侵略を誘発し、日本国家の滅亡を招来することになる。
日本に軍隊は不要だという考え方は、国連を平和的な正義の機構だと妄信する国連幻想、お花畑世界観によって合理化されている。国連を美化するために公民教科書は、国連の正式名称が「聯合国」であること、国連憲章には日本を差別する敵国条項が存在することを隠蔽してきたのである【5】。
国民を分断する
さらに言えば、日本弱体化のために一番有力な方法は、国民の分断である。そのためにグローバリストと共産主義者は、世界各国で各種の差別問題を利用する手口を使ってきた。彼らは、いろいろな分野におけるマイノリティー(少数派)に寄り添うふりをして、マイノリティのアイデンティーを必要以上に刺激拡大し、多数派を攻撃させてきた。その結果、国民は分断され、社会秩序が破壊されてきた。日本の公民教科書の中にも、この手口が持ち込まれている。例えば虚構のアイヌ先住民族説がいち早く展開され続けてきた【3】。また、10年ほど前までは在日韓国・朝鮮人に選挙権を与えないのは差別だという教育が行われてきたし、最近では「日本国憲法」にさえも違反して在日外国人に選挙権を与えようという教育が行われている【2】。
このように見てくるならば、公民教科書は、「日本解体計画書」である「日本国憲法」をバージョンアップした「日本解体新計画書」であると位置づけられよう。
転載自由
この記事へのコメント