6月27日の記---備忘のため15年前の出来事を記録しておこう

 所謂保守派の壊滅という事態を受けて

 『吉田茂という病』正続2編に関して10日間ほど頭を使い続けたが、私からの批判に対応した回答は基本的にもらえなかった。全くかみ合わなかったが、回答があったという形式を整えただけ、ましなのであろうと思うことにした。

 そのことはいいとして、所謂保守派の学者乃至言論人の気概や質に疑問を感じたとき、いや、単に所謂保守派の言動・行動に嫌気がさした時、いつも思い出してきた出来事がある。15年ほど前のことだ。余りにもひどい話なので、所謂保守派の名誉のためにブログには記さずにきた。だが、古い話になったし、またLGBT法を日本会議系の議員たちが中心になって成立させる事態も生じた。これらの議員たちは、左翼活動家とともにLGBT法関係で公金チューチューに乗り出すだろう時勢となった。

 振り返れば、2017年に9条②項を護持する安倍偽改憲案が提案されたとき、保守派の大多数がこれに賛成した時、日本の保守派は壊滅した。そして、自民党「保守派」なる存在が、左翼リベラルというよりも極左の運動事案であるLGBT差別禁止法を積極的に成立させたとき、その壊滅は誰の目にも明らかになった。このような情勢変化を経て、所謂保守派の名誉を守ると言った考え方は必要なくなったようにも思うので、15年ほど前の出来事を、備忘のため記しておきたい。

 「そんなオタクのようなことはしたくない」と言った若手研究者

 15年ほど前、私とある若手研究者のグループが、一緒に教科書分析を行おうという話が持ち上がって、2度ほど会議を持ったことがある。本題と関係ないが、相手方のグループは7、8名ほどいたように記憶しているが、本当は5、6名ほどだったかもしれない。このグループには東大国史の院生もいたように記憶しているが、リーダーである青年が異様にグループ全体を支配している雰囲気が初対面の私にも伝わり、少し嫌な感じがしたことを憶えている。このグループと私以外に、両者をつないだ人が2人その場にいたように憶えている。全部で10人ほどだったように思う。1度目が仕事計画の打ち合わせ、2度目が初稿の検討会だったように憶えている。

 その2度目、すなわち最後の会議は、私とそのグループのリーダー格の人との意見が全く合わず、堂々巡りの議論となって、雰囲気の悪いまま解散した。3~4時間の長い会議だったが、リーダー以外の青年たちはほとんどしゃべらず、私とリーダーだけが延々と論争したのだった。その時、リーダーが私に向かって吐いた言葉が「そんなオタクのようなことはしたくない」という言葉だった。論争というよりも、私があるべき教科書分析の在り方を説き、リーダーを納得させようとしていたのだが、全く受け入れようとはしなかった。

 私が説いたことはただ一つである。《君は説分類せずに教科書の評価をしている。最低三説ぐらいに説分類して、それぞれの説の代表的なものを紹介してもらいたい》ということだった。教科書評価を記す文章と点数評価の表と両方作っていたのだが、説分類しないものだから、点数評価の表と文章が分離していた。同じことを何度も、いろいろな場面で説いたが、途中でリーダーが吐いた言葉が、「そんなオタクのようなことはしたくない」だった。何度も言われたか、2度ほどだったか憶えていないが、本当にびっくりした。

 どういう分野でも、説分類して分析するということは当たり前ではないか、「オタク」のような仕事を積み重ねるのが学者の仕事ではないかと私は考えていたからである。でなければ、学者としてやっていけないだろうというのが、私の考えだった。だから、こんなセリフを吐くリーダーに驚くとともに、大丈夫かとも思った。リーダーの言葉は、親子以上に年の離れた私に対する無礼でもあるが、そんなことよりも、本当に大丈夫かと思ったのである。研究者として当然すべき仕事を忌避するようでは、優れた才能を持っていたとしても、研究者として一人前になれないだろうと思ったのである。

 しかし、このリーダーは、その後、保守言論界では相当なのか、まぁまぁなのか分からないが、売り出していった。その姿を折に触れてみてきたが、そのたびに「やはり保守言論界は駄目だな」と思い続けてきた。「オタクのようなこと」をしなければ、よほど天才でない限り、優れた仕事はできないからである。

 この出来事があったため、私は、共著で読んだ一冊の本以外には、この人の著書を読んだことがない。恐らく雑な仕事しかしていないだろうと思って、読む気になれないのだ。もちろん、今のリーダーは「オタクのようなこと」も厭わずやるようになったのかもしれないが。

 
 この例が何を意味しているのか、余り敷衍しない方がよいだろう。ともかく、備忘のため、上記のように記録しておくことにした。

 転載不可


追記、7月4日記
 
 5年前から、上記の15年ほど前の出来事とセットで記憶してきたことがある。それは、通州事件について記した左翼系の若手研究者の著作のことだ。以下の記事でも記したが、この著作によれば、通州事件は日本側がマッチポンプで起こした事件であり、事件が起きた責任は日本側指揮官にあるということになる。しかも、通州事件について記しながら、中国人による日本人・朝鮮人虐殺をほとんど取り上げず、個人としての中国人が日本人を助けた少数の例をことさらに取り上げている。その徹底的な反日主義的な評価には驚愕したことを憶えている。虐殺事件としての通州事件と通州における戦いを示す通州戦とを分けた場合、通州戦の部分については比較的信頼できるように感じたので、逆に余計に、その通州事件を検討する場合の反日主義の極端さに驚いた。左翼歴史学よ、大丈夫かと思ったことをよく覚えている。
 http://skhkotohajime.blog.fc2.com/blog-entry-86.html
 
 ともかく、この通州事件に関する出鱈目極まりない左翼研究者の著作と、15年前の出来事とをセットでよく思い出してきた。左翼も「保守」も本当に大丈夫なのか。



 

この記事へのコメント

森下直樹
2023年09月25日 00:10
小山先生、お疲れ様です。先生に不遜な態度を取った「リーダー格」の男、分かりました。世間のまともな人間は彼を学者、研究者と思っていません。
小山 常実
2023年09月26日 20:48
森下様
 コメントまたは情報ありがとうございます。