橋本琴絵『暴走するジェンダーフリー』を読んで――観念論ではなく経験論に基づき物事を捉えよ《追記、橋本氏の言う「選択的夫婦同姓」制度の意義》……2022年7月23日記

タイトルとは裏腹に骨太で読み応えのある本

 橋本琴絵『暴走するジェンダーフリー』(ワツク出版、2021年)を読んだ。目次を眺めていて、過激な見出しが多いこともあり主張ばかり先行している本かと思ったが、そうではなかった。本書を通じて一貫してうかがえるのは、経験論・経験則に基づき物事を帰納法的に捉える方法が観念論に基づき演繹的に物事を捉える方法よりも優れていることを説いていることである。氏が経験論を重視するのは、イギリス留学の経験からくるものであろうか。

 目次を眺めた時、具体的なテーマが多岐にわたるため、『暴走するジェンダーフリー』というタイトルから外れるものもかなりあるように感じた。それゆえ、一つの本としてまとまりがないのではないかと感じた。だが、読み進めるうちに、経験論・経験則に基づき各テーマを切っているという点で一貫した本であった。特に第1章「暴走するフェミニズム」の部分は面白かったし、タイトルから想像されるものとは異なり、極めて骨太で理論的な内容であった。

 そこで、特に第1章を中心に、勉強になった点や面白かった点について紹介していきたいと思う。まずは、例のとおり、目次を掲げることにする。

目次
はじめに──「女」になりたければ「男性器」を切断しなさい!

第1章 暴走するフェミニズム
トランスジェンダー選手(女性自認)の五輪参加は「不公平」?
ノーテンキなリベラル男は「幼女」がお好き? 
日本が「男女平等 世界120位」なんて大嘘だ
美しい日本を破壊する「選択的夫婦別姓」
女性として森喜朗氏を擁護する
保守女性はオジさまがお好き
夫婦別姓をめぐる”反日教”の丸川珠代イジメ
同性婚カップルの思い上がりと差別思想 
真子内親王殿下へ――皇室が愛される理由

第2章 暴走する人権ファナティシズム         103頁
日本の保守政権に正しい「移民・防疫」政策はあるのか
朝日の「従軍慰安婦強制連行」キャンペーンは犯罪である   119頁
飢えて死ぬ国民をよそに誰がための外国人生活保護か 
関東大震災時に「朝鮮人襲来」がなぜ叫ばれたのか
皇族差別を定めた〈悪法〉皇室典範の改正を 
アメリカの”国の在り方”を踏みにじった大統領選

第3章 暴走する媚中派日本人           149頁
ウイグル人弾圧に加担する企業の大罪 
中国の侵略を支援する日本人研究者を弾劾せよ 
日本に中国人コロナ感染者を入れたのは誰だ

第4章 暴走する狂気の独裁国家
海保よ、武器をとって「海警法」から国民を守れ
日本人殺害要員が日本国内に六十万人いる 178頁
「中国は日本の敵である」と国際社会に明言せよ
合憲の日本人義勇軍を台湾に送るべし

おわりに──日本よ、英国の「経験」に学べ



<トランスジェンダー選手(女性自認)の五輪参加は「不公平」?〉

トランスジェンダー選手(女性自認)の五輪参加

 第1章はすべて紹介したいくらいに面白かった。まずは、<トランスジェンダー選手(女性自認)の五輪参加は「不公平」?〉という論稿である。オリンピックの参加資格における「選手の性別」の決定方法に関する議論である。

 本書によれば、決定方法に関しては、Y染色体保有説、生殖器保有説、テストステロンレベル説、以上三種の考え方がある。Y染色体保有説は、Y染色体を持っていれば男性、もっていなければ女性とする考え方である。この考え方に基づき、性自認が女性であり女性として生きてきた選手がY染色体を保有していたとして欠格になった時代もあった。だが、Y染色体をもっても男性の身体にならない場合があること等の理由から、今日ではこの説は採用されていない。

 生殖器保有説は、生殖器の有無によって性別を判定する方法である。だが、男性が去勢して参加資格を得ようとする不正が考えられるので、やはり採用されていない。

 第三のテストステロンレベル説とは、男性ホルモンであるテストステロンの血中濃度の濃さによって性別を判定しようとする方法である。現在のオリンピック委員会は、この説を採用している。この説に基づき、「オリンピック委員会は六カ月間のあいだ連続して血中テストステロン濃度が5nmol/L以下でなければ「女性選手」として認められないとの判断基準を採用した」(20~21頁)。5nmol/L以下とは、一般男性の血中平均濃度の半分程度である。

 この基準がつくられたため、南アのキャスター・セメンヤという陸上選手は、ロンドンとリオデジャネイロで連続して金メダルを取った選手であったが、結局、東京オリンピックに参加できなくなった。彼女は、生まれつきテストステロン濃度が飛びぬけて高いため、5nmol/L以下に下げるための投薬を受けなければ女子選手として参加できない、とされた。一度は投薬してみたけれども体調を崩してしまったのだ。

 しかし、オリンピック委員会が2015年に定めた「トランス女性の参加基準」によれば、トランス女性は血中濃度10 nmol/L以下で出場可能である。10 nmol/L以下とは、一般女性の28倍以上の濃度であるという。もともと生れた時から女性として生きてきた人より、男性として生まれ育ってきて突然性自認が女性となったトランス女性の方が、高いテストステロン濃度が認められているわけである。明らかに不公平であり、女性差別思想にあふれているわけである。

性自認で女性選手としての参加資格を認めるやり方はダメ 

 では、どうすれば、公正なものとなるのか。本書によれば、テストステロンとともに、「指比」を判定基準にするのが公正な基準だという。
テストステロンを基準にする方法だけでは、仮に生まれながらの女性とトランス女性の血中濃度基準を例えば5nmol/L以下に統一したところで、公正なものにはならない。トランス女性は男性として過ごしている間、大量のテストステロンの作用で大きな骨格と筋肉を身に付けてきており、その点で生まれながらの女性よりも選手として恵まれているからだ。

 そこで、注目されているのが、「指比」を判定基準にする方法だという。2006年、ジョン・マニングという英国人科学者が、「指比」に男女差があることを発見した。マニング氏によれば、薬指は血液中の男性ホルモンの影響を受け、人差し指は女性ホルモンの影響を受ける。それゆえ、長い間男性ホルモンの影響を受けたら薬指の方が長くなるし、女性ホルモンの影響を長い間受けてきたら人差し指の方が長くなる。この「指比」に注目すれば、その人が生涯を通じて女性ホルモンと男性ホルモンといずれを多く受容してきたかわかることになる。それゆえ、橋本氏は、テストステロン濃度ともに「指比」をも判定基準にすることを提案するのである。

<日本が「男女平等 世界120位」なんて大嘘だ〉

ダボス会議の「ジェンダーギャップ指数」 
   
 次に<日本が「男女平等 世界120位」なんて大嘘だ〉の論稿である。ここでは、世界経済フォーラム(ダボス会議)が発表する「ジェンダーギャップ指数」が取り上げられている。毎回、日本の「ジェンダーギャップ指数」に関する順位は驚くほどに低いが、昨年3月の順位は156か国中120位であると発表された。日本より上位の52位には、13歳から24歳の女性の3人に一人が強姦被害者であるエスティワニ王国(旧スワジランド)が、107位にはウイグルなどでジェノサイドを行っている中国が位置づけられている。

 何ともおかしなことであるが、このダボス会議的、欧米的男女平等観の歪みは、次の点にも表れている。令和3年4月6日、愛知県半田市内の聖火リレーコースに、女人禁制の区画があり、ランナーから警官、報道陣まで男性限定にしていたところ、「ジェンダー差別」の声が沸き起こった。そして、オリンピック組織委員会からも批判が起き、女性を参加させることになった。しかし、ギリシャでの採火式は、炉神ヘスティアーを祭る巫女限定で行われている。同じことをしても、日本はジェンダー差別、ギリシャは伝統とされている。ジェンダー論は、21世紀における人種差別思想として実用化されているのである。

女性を男にするのが平等なのか

 なぜ、こんなことになるのか。巷にあふれている考え方は女権主義的なものであり、ジェンダー平等とは女性を男性化することだと考えられている。女性の特性は否定されることになる。しかし、男女の特質を尊重することが真のジェンダー平等である。

 例えば、日本では、助産婦資格は女性限定である。対して、英米圏では男性助産婦もいる。なぜ、女性に限定しているのか。妊婦について予測される緊急事態を回避する能力は女性に特有であるとの経験則を持つためである。橋本氏によれば、女性は知性に優れ、理性に劣る。知性とは現実を把握する能力のことだ。対して、男性は理性にすぐれ、知性に劣る。理性とは空間認識と未来を予測する能力である。「こうした男女の性差を尊重する社会こそ、真のジェンダー平等である」(41~42頁)。「男は外で働き女は内で」というのは、歴史と伝統で形成された「経験則」であるということになる。

差別されているのは男性の方である 
         
  むしろ日本では、差別されているのは男性の方である。夫婦が離婚した後の「実子連れ去り」事件が国内的にも国際的にも問題になっている。日本では、母親が子供を連れ去るのは合法だが、父親が連れ去るのは犯罪となる(平成17年12月6日最高裁判決)。そのため、日本人女性が国際結婚して破綻した際、子供を連れて日本に帰国する。そして、国際指名手配となるケースが続出している。各国政府は、北朝鮮による拉致事件と同様な事件として日本を非難している。日本の女性優遇、男性差別が国益を害しているといえよう。

 関連して、橋本氏は、「ジェンダーギャップ指数」における日本の順位の低さと反対に、国連のSDSN(持続可能な開発ソリューションネットワーク)の2017年「世界幸福度ランキング」では、日本女性が日本人男性の8.1ポイント上であり、世界一幸福であるとの結果が出た。これは「ジェンダーギャップ指数」の女権主義的な偏向を示すものであるが、氏からすれば、これは肯定的に評価すべきものではなく、「日本社会ではそれだけ男性差別(女尊男卑)が横行している批判的に見るべきである」(44頁)ということになる。

 関連して、ここではないが、<夫婦別姓をめぐる”反日教”の丸川珠代イジメ>という論稿では、次のような事実が語られている。

 橋本氏は英国に留学していた時、我が国の女性観についていろいろ聞かれて答えると、その答えに随分驚かれたという。日本では生理休暇が認められていることに、英国人、フランス人、イスラエル人が驚き、感嘆した。女性しか入学できない医大があること、出産すると一律4千ドル以上が必ず支給されること、毎週水曜日は女性だけ映画館の入場料が割り引かれること、といった日本の女性事情について述べると、更に驚かれたという。女性の特質を尊重する策、あるいは女性優遇策を日本社会がとっていることに、彼らは驚いたのであろう。女性の男性化こそがジェンダー平等だという女権主義的な考え方をしがちな彼らからすれば、女性の特質を尊重する女性主義的な日本の対応は、驚愕すべきものだったのであろう。

 また、橋本氏は、「選択的夫婦別姓が世界各国で採用されたのは、女性が結婚後も生家の氏を名乗る「入婿」という制度がなかったための措置」であったとし、「わが国では、婚姻時に夫婦どちらの姓を名乗ってもいいとする「選択的夫婦同姓」であること」を述べると、やはり驚かれたという(79頁)。この意味はもう一つわからない。現在の世界では多くが選択的夫婦別姓制度をとっているが、その前の段階は「選択的夫婦同姓」制度ではなく、夫の姓を自動的に名乗る「夫婦同姓」制度であったということであろうか。

<女性として森喜朗氏を擁護する>      

科学的事実は差別に当たらない

 一番面白くすっきりしていて勉強になったのは、<女性として森喜朗氏を擁護する>という論稿である。令和3年2月3日、日本オリンピック委員会・臨時評議員会において森喜朗氏は、「女性の多い会議は時間がかかる」と発言したという。これをマスコミ各社は、女性蔑視だと攻撃し、EU諸国の駐日大使館も相次いで抗議した。ちなみに、英国はこの件について言及しなかったという。

 一連の流れをみて、橋本氏は、2020年に故李登輝の葬儀に森氏が日本を代表して台湾入りしたことで、中国は森氏を敵視したことを真っ先に思い出したという。この中国による森氏に対する反感が、「森叩き」の背景にあったことは確かであろう。

 では、森氏は何を発言したのか。森氏の発言の要点は、話の前半は「女性のいる会議は長い」、後半は「女性の意見は的を射ている」とまとめることが出来る。二つとも、森氏が経験した科学的事実に基づいている。いわゆる観念論ではなく、経験則に基づくものである。

 「一般に差別とは、現実の経験則を無視したものである」(56頁)。だから、森氏発言は差別に当たらない。

 前半の「女性のいる会議は長い」から見れば、これは「女性の話自体が男性に比べて時間的に長い」(57頁)という意味であると言える。女性の話自体が男性より長い時間がかかることは、生物学的事実である。これは、科学的根拠のある事実である。

 女性の大脳新皮質は物理的に男性よりも厚いので、その分、ニューロンの総数が多くなりその分長い時間が必要になる。また、発話するためにはドーパミンが脳のシナプスを通過する際に必要だが、女性ホルモンのエストロゲンはドーパミンを抑制する作用をもつ。それゆえ、女性は話すのに長い時間が必要になる。これは、生物学的事実である。

 後半の「女性の意見は的を射ている」にも、経験則から言って科学的根拠がある。「女性は思考や動作の速度よりも正確性を優先する。短絡的思考によって自然犯(殺人、窃盗など)に手を染めるのは、全世界的に男性が圧倒的多数を占めるという現実がある」(58頁)。森氏は、女性が正確性を優先する事実を、「女性の意見は的を射ている」と表現しただけのことである。それゆえ、「男性に比べて話す速度が遅いといった現実は、女性の属性であり、その属性に対して観念上の善し悪しの判断を加えることそれ自体が、深刻な性差別である」(58頁)ということになる。

英国はなぜ、森発言を批判しなかったのか

 ところで、なぜ、英国はEUに同調しなかったのであろうか。欧州大陸は理性主義を基礎に合理論をとり、英国は人間の経験能力に重きを置き経験論をとってきた。EU諸国は、予め「女性像」が設定されており、その観念と森発言が一致しなかったために非難した。それに対して、英国は経験則に基づき女性像を捉えており、それゆえに経験則に合致した森発言を非難しなかったのである。

 経験を否定した観念論は、恐ろしい弊害を生む。例えば、万世一系の我が国体とは「経験」である。女系天皇とか、愛子内親王殿下を天皇陛下にすべきだという発想は、「経験」を無視した、まさしく観念論の産物でしかない。

<同性婚カップルの思い上がりと差別思想>
   
日本の婚姻法が婚姻を禁止している事例 

  最後に、<同性婚カップルの思い上がりと差別思想>という論稿を取り上げよう。令和3年3月17日、札幌地裁(武部知子裁判長)は、同性婚を認めない民法や戸籍法の規定は「日本国憲法」第24条に違反しないが、第14条に違反するとして、違憲判決を下した。

 その理由は、「性的志向とは、人が情緒的、感情的、性的な意味で、人に対して魅力を感じることであり、……人の意思によって、選択・変更し得るものではない」ということであった。

 この論稿は、この札幌地裁判決を検討したものである。まず橋本氏は、同性婚以外に婚姻を禁止している事例を挙げている。すなわち、以下の5事例である。
一 児童結婚の禁止 民法731条
二 重婚の禁止 民法732条
三 近親婚の禁止 民法734条➀項
四 直系姻族結婚の禁止 民法735条前段
五 養親子関係結婚の禁止 民法736条


  この5事例のうち、三の近親婚の禁止はまさしく「人の意思によって、選択・変更し得るものではない」事例なので、氏は特に三を比較対象として取り上げる。近親婚に関する判例としては、平成17年5月31日東京高裁判決がある。事案は、叔父と姪が夫婦関係にあったが、叔父が亡くなったので、遺族厚生年金の支給を請求したが認められなかったというケースである。二人は「一般の夫婦と何ら変わりなくお互い支え合いながらともに暮らし、職場からも周囲からも夫婦として認識されていた」(88頁)。だが、「公的保護の対象にふさわしい内縁関係にある者であるかどうかという観点から」(89頁)判断して、遺族厚生年金の支給を認めなかったのである。同性婚について判断する場合にも同じ観点が必要だとして、札幌地裁判決を批判するわけである。

なぜ同性愛者にだけ特権が認められるのか

 札幌地裁判決への批判で面白かったのは、判決が同性婚を認める理由として「諸外国において同性婚制度等を導入する国が広がりを見せている」ことを挙げている点に対する批判である。氏は、同性婚制度等が外国で広がりを見せていることが理由となるなら、「同性愛者を死刑にすることが認められている外国がある」という理屈を展開することも可能になるとする(91頁)。

 そして、次の様にいう。「わが国には、多くの先進国が採用していたように同性愛者を収監し、または処刑した歴史はない。それで十分ではないのか。わが国は、情交関係にある養子縁組契約をただちに否定することはないという寛容な国柄である(最高裁判決・昭和46年10月22日)」(91頁)。

 「愛の形はさまざまであり、相続権の付与など「通常の家族」と同じ権利を得る「ほかの手段」がある中、あえて婚姻の文言に拘泥する理由は何か」(92頁)。

 結局、いろいろ禁止されている婚姻形態のうち、同性婚をあえて承認することこそが差別的であると氏は結論付けている。

<皇族差別を定めた〈悪法〉皇室典範の改正を〉

 以上、第1章の紹介をしてきたが、第2章以下でも面白い記述があった。それは、第2章の<皇族差別を定めた〈悪法〉皇室典範の改正を〉という論稿である。ここでは、旧皇族の皇籍復帰よりも優先すべきものとして、婚外子の皇位継承権を否定する現行の皇室典範の改正を提唱している。私のように「新皇室典範」無効論の立場からすれば不要なものではあるが、この提案は新鮮なものであった。

なぜ婚外子が排除されたのか……欧米の考え方が取り入れられたから

 では、なぜ、婚外子が排除されたのか。それは、氏によれば、諸外国で採用されている王位継承法をそのまま輸入するという愚を犯したからである。現在の英国とオランダを除く王位は「サリカ法」に基づき継承されている。「サリカ法」とは、王位継承者を嫡出の男系男子に限るものである。しかし、「サリカ法」とは、我が国の伝統に反するものである。
 氏は、次のように、皇位継承制度の変遷を位置づけている。

 第一に神武天皇の男系子孫に限り、
 第二に携帯委天皇の御代から天皇五世以内の男孫まで皇位継承範囲が拡大され、
 第三に推古天皇の御代から男系男子に即位できない事情があるときは天皇五世孫以内の男系女子に皇位継承権が認められ、
 第四に明治になって天皇五世孫であっても男系男子の皇位継承権が欠格し、
 第五に大東亜戦争後、天皇五世以内かつ法律婚から出生した男系男子の嫡出子に限定され、天皇の皇子であっても婚外子の皇位継承権が欠格した。 138~139頁


 この五番目の変化が問題なのである。これは、異民族統治で欧州の「サリカ法」が取り入れられた結果である。そして、今、やはり欧州の法を取り入れて「女系天皇」肯定という第六の変更を加えんとする議論が行われている。こういう他国のルールをそのまま取り入れんとする方法は日本のためにはならないと氏は考えるわけである。

婚外子排除は皇室差別

 問題は外国の法をそのまま取り入れんとすることだけではない。婚外子排除が皇室差別に当たることも問題だと氏は言う。

 一般国民の場合と比べてみよう。一般国民の場合、交際相手と子をなした時、認知という制度がある(民法781条)。そのあと、その子の母親と結婚すれば準正といって嫡出子の身分を得る(民法789条➀項)。これに対して、皇族の場合には否定されている。

 これは、皇室差別である。この観点からも、この民法と同じ規定を皇室典範に入れる必要があると氏は説くのである。

 以上、本書を紹介してきたが、特に第1章は一読の価値があるものである。ジェンダーフリーや性差別などの問題に関心のある方、保守主義とは何かといったことに関心のある方にお勧めする。

  転載自由
 
 

追記、橋本氏の言う「選択的夫婦同姓」制度の意義》……2022年7月23日記

 本書には、橋本氏が英国留学した際、「わが国では、婚姻時に夫婦どちらの姓を名乗ってもいいとする「選択的夫婦同姓」であること」を述べると、外国人に驚かれたたとする記述がある。この意味がもう一つわからなかったので、ネット上でいろいろ検索してみたが、《夫婦別姓 各国の状況は》という表があった。
 https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwiYyLbS9475AhXBEYgKHX0eAZ0QFnoECAQQAQ&url=http%3A%2F%2Fwww.hirokom.org%2Fminpo%2Fsiryo01.html&usg=AOvVaw0lZ2yfB2v54SV8woqhzidP

 この表は分かりにくいものであったが、夫婦別姓の代表格である中国や朝鮮半島の国以外では、特に欧米諸国では、夫婦同姓が元の制度であったが、夫婦別姓も選択的に認めるようになっている。夫婦別姓が基本である中韓などを除けば、世界の一般的な制度は、選択的夫婦別姓制度であると言って間違いではないようだ。ただし、元の夫婦同姓の在り方には注意が必要のようだ。この表を見ていてもよくわからないところがあるが、かなり多くの国では、近代以来、夫婦及び家族の共同性を重視する立場から「夫の姓を名乗る夫婦同姓」の制度をとっていたようである。この制度は男女平等の観点からは問題を抱えるとみなされるようになったので、夫婦同姓も夫婦別姓も選べる「選択的夫婦別姓」制度に変化してきたものと思われる。その結果、制度変化のせいかは分からないが、同時に家族解体が進んできたことは確かである。また、男女平等という価値を守ることにはなっても、家族の共同性擁護という価値を多少とも毀損することになっているように思われる。

 これに対して、日本は、少なくとも近代以来、多くの諸国のように「夫の姓を名乗る夫婦同姓」ではなく、「夫か妻の姓を名乗る選択的夫婦同姓」制度を維持してきたのである。実際には夫の姓を名乗るケースが多いが、それは法律の問題ではなく、政治経済と区別された意味における社会の自律性に任せるべきものである。政治経済分野より社会的分野には法律の干渉は抑制的であるべきであると言えるからだ。

 この日本の制度は、夫婦及び家族の共同性を擁護するとともに、男女平等の観念にも合致した優れた制度であると言えよう。国連や諸外国が日本の夫婦同姓制度を批判するのは、夫婦同姓制度=「夫の姓を名乗る夫婦同姓」と短絡的にみなして、女性差別的だと判断してしまうからであろう。いずれにせよ、家族の共同性という価値と男女平等という価値をともに実現する制度は、橋本氏がいうところの「選択的夫婦同姓」という現在の日本の制度であろう。

 なお、本書の森喜朗氏発言の弁護論は非常に面白い。本書を手に取った方には、是非、その部分をお読みいただきたい。

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