体罰肯定主義の学校が虚偽の「虐待通告」をしたケース(晃華学園事件)――『児相利権』第5章2節より

 もう一件、学校が虚偽の「虐待通告」を児相に行った結果、親子が完全に切り離されたケースを紹介しよう。『児相利権』第5章2節にある当事者の手記に基づいてみていく。前回記事の場合も、隔離された当の子供に関する教育方針をめぐる学校側と親側との対立が存在したが、今回は、当該児童についてだけではなく、クラス全員に関する教育方針をめぐる対立が存在した。その教育方針の対立を解消するため、学校側が虚偽の「虐待」疑惑を捏造して、当の子供を児相に送付してしまったケースである。
 以下、まず経緯をたどっていくこととしよう。

晃華学園小学校に入学する前

 小学校入学前から見ていこう。平成16(2004)年3月、手記の著者の次男純史(仮名)は、長男と双子の兄弟として生まれた。平成17年1月、妻と別居し、長男を妻が、次男純史を著者が養育することになった。氏の「子育ての方針は、本人に高めの目標を段階的に与え、それに向かって努力させ、段階をクリアしながら、心身ともに高いレベルの成長を達成させるというもので」(280頁)ある。

 平成18(2006)年、2歳になり歩けるようになると、山歩きをさせた。山梨県の高川山(976m)にも登った。平成19年2月から8か月間、氏は香港に出張した。純史を連れていき、現地で英語の保育園に通学させた。純史は英語もしだいに話せるようになり、休日には香港の山歩きを二人で楽しんだ。

帰国すると、純史は、平成19(2007)年10月から22年3月まで、2年半、都内の英語のインターナショナルスクール(幼稚園)に通学した。一度も欠席はなく、登山の力も上達した。

 さらに平成21(2009)年11月より、公文式学習に通いだした。これも頑張り、3年以上先の学習を達成したことにより、表彰された。ともかく、小学校入学前は、種々の能力を発揮していた子供であることがわかる。

小学校一年生

純史は、平成22(2010)年4月、私立晃華学園小学校に入学した。カトリック系のミッションスクールである。氏は期待していたが、いざ入学させてみると、学校の雰囲気は悪かった。「一部の保護者を取り巻きとして囲い込んで学校運営に協力させ、それ以外の保護者は、ひたすら波風を立てないように6年間ひっそり従順にすごすという、かつての共産国のような暗く淀んだ雰囲気だった」(282頁)。

それでも、最初はしっかり自分で学校に通い、クラスの友人ともうまくやっていた。ところが、二つの事件で、純史は差別的に扱われた。一つは、上級生に、指を関節と逆方向に捻じ曲げられ、ケガさせられた件である。当時の校長に抗議したが、上級生の保護者に謝罪させようとしなかった。二つは、「純史が他の児童におもわず怪我を負わせた」件である。このとき、校長は執拗に「謝れ」と迫ったのである。

小学校二年、担任による純史と他の児童への暴行

平成23(2011)年4月、2年生になった。担任となった教諭は、クラスの児童に暴行を始めた。5月より、「クラスの全生徒の面前で、純史に対し頭部等への殴打を繰り返し加え続け」(283~284頁)た。その様子は、次の様に描写されている。

 純史は常に無抵抗でした。……純史が定規を用いて線を引かないからとして殴り、その線がきちんとしていないのでまた殴りました。それは、純史によれば「殴られたと時目の前が緑色に見える」ほど強いものでした。 284頁

そればかりではない。担任教諭は他の児童にも暴行した。

純史に対してだけでなく、他のクラスの児童にも、体罰を繰り返していました。身体を紐で縛る、便意を訴えた児童を便所に行かせないといったものです。 284頁

 しかし、新しく校長を兼任した理事長は、担任の行為をやめさせず、2年の終わりまで教壇に立たせ続けた。

11月、純史は、同学年の児童からいじめを受けた。11月29日、いじめへの対応を求めた。だが、校長は何もせず、同日午後、埼玉県児童相談所に、私が虐待したとの通告を開始した。教諭が純史に付けた傷や痣は親がつけたものであると嘘をついて通告した。

教諭の暴行は繰り返されていたので、12月4日、校長に対して文書を送付した。「調査委員会設置による事実究明、再発防止、謝罪等を求める文書」(284頁)である。すると、校長は、児相に通報を繰り返した。12月19日、学校で、児相職員2名と保護者である氏を面会させる。なお、面会させたのはこの時だけであり、後はすべて秘密裏に児相に対して通報を続けたという。

年が明けて3学期に入った。教諭の暴行により、純史の精神状態は更に悪化した。不登校の様相となった。親が校門近くまで付き添っていく形となった。校長は、こういう事実を知っていたにもかかわらず、純史を退学処分にするかもしれないとの恫喝をファックスで加えてきた。

そして、平成24年3月15日、校長は、教諭の行為は「体罰ではなく指導である」という回答を、校長印付きのファックスで送ってきた。さすがに教諭は、3月に辞職した。だが、体罰どころか暴行を繰り返したにもかかわらず、懲戒処分にはならなかった。

小学校三年、校長による体罰、児相への「虐待通告」

平成24(2012)年4月、3年生になった。新しい担任は純史に表向き優しかったので、問題は改善されたかに見えた。だが、同年9月、氏が校長自身の行為に抗議せざる得ない事態が発生した。

校長は毎週月曜日に講話していた。純史は、それを聞くと心理的に圧迫されると言う。氏は耳栓を与え、うまくいかないと、講話のある日は講話が終わったころに遅刻していかせた。すると、校長は「なぜ自分の話が聞けないのか」と詰問した。授業を受けさせず監禁して詰問した。これは体罰に該当するので、氏は抗議した。直後、校長は、児相に「虐待通告」を行った。担任は、この児相に対する通告のことを、純史親子に一切知らせなかった。親が抗議すると学校が児相に「虐待通告」する、というパターンが繰り返されるわけである。そもそも、2年次担任による純史その他に対する暴行が問題の始まりだったし、校長自身が法律が禁ずる体罰を行ったにもかかわらず、逆に純史の親が虐待しているとの虚偽の通告を行い続けたわけである。

平成25年3月17日、校長は「旧2年A組保護者会」なる集まりを開催した。校長は暴行などの一部を口頭で謝罪した。氏は、事実認定の不十分さと文書による謝罪でなかったことに対して、激しく抗議した。すると、学校はまた、4月になって児相に通告した。その通告と通告に基づく「一時保護」については、2頁以上もの紙数を割いて詳述されている。

小学校四年、児相への遺棄=「一時保護」

平成25(2013)年4月20日、副校長に昇進した担任は純史と懇談した。アスペルガー傾向のある純史は、虚言癖がある。これを利用して、「親の虐待」という証言をとって児相に引き渡そうとしたが、児相の同意を得られず失敗に終わった。手記から引用しよう。

この日、純史は呼びつけられ、「親の虐待」を無理やり言わされようとしました。しかし、言質はとれなかったので、学校側は、「体罰があったらしい」という曖昧な情報で児相に通告し、「児相の指示があるまで」として下校させずに待機させました。私には全く秘密裏に、純史を児相に引き渡そうとしたのです。予定された課外活動や保護者の事前の同意がない限り、学校側が放課後も児童を学校に留め置くことは、保護者の監護権の侵害です。とはいえ幸いにも、この日の学校側のこの試みは、児相の同意を得られず失敗に終わり、純史は家に戻ることができました。   288頁

 このように児相への引き渡しに一度失敗しても、校長も副校長も諦めなかった。4月25日、学校に、児相所長広瀬正幸と担当課長である永井徹郎らを秘密裏に呼び出し、児相送致の相談をした。そして、平成25年5月1日、親には知らせずに純史を児相に引き渡したのである。法的には「一時保護」ということになるが、その実態は、学校による拉致、児相への遺棄といったものであった。

 親の方は、胸騒ぎがしていたようである。5月1日、学校に電話し、学校最寄りの「晃華学園東」バス停から15時28分に出るバスに純史を乗せてほしいと依頼した。三鷹駅でこのバスから降りてくる純史と合流するつもりだった。

しかし、担任である副校長は、公文式のプリントに目を付けた。純史に、このプリントを全部終わらせないとお父さんに怒られるよと脅しをかけて、プリントをやらせる。そして、三鷹駅で純史を待っていた親に、まだ純史君はプリントをやっていますから送れますと記したメールをよこす。また、「2日前に岩場や藪漕ぎの難コースを頑張って登って純史にできた傷や痣を見つけた」(290頁)ようである。

 心配になった親は、学校に電話するが、全児童は帰宅したと嘘を言われる。こうして親と純史を切り離したうえで、学校側は、18時ころ、児相に車で来てもらった。19時すぎ、親には秘密のまま、学校側は「児相に純史の身柄を引き渡し、純史を小学校から遺棄することにまんまと成功した」(290頁)。

以後、純史は晃華学園に通えなくなった。「日本国憲法」26条違反であり、学習権のはく奪である。親は、担任に対して、児相に學校の宿題の差し入れを頼んだが、拒否された。にもかかわらず、晃華学園は、毎月4万5千円の授業料をとり続けている。

「一時保護」の理由――「虐待」の証拠写真が消えた

 児相が純史を「一時保護」した理由は、純史の身体に痣があったことである。児相によれば、「ところが、その痣はすぐに薄くなり、撮影した後に消えた」(291頁)という。そこで、不審に思った親は、写真の元データの提供を申し入れた。すると、児相は、データを誤って削除したとの返答をしてきた。写真の元データは、「一時保護」の判断のための最も重要な客観的証拠である。それを誤って削除してしまうとは、児相業務の専門家とは言えない。しかし、山脇由貴子『告発 児童相談所が子供を殺す』でも指摘されているように、役所のいろいろな部署を短期間で異動していく素人が児相業務を担っているのが実態である。だからこそ、このように杜撰なことも起こるし、そもそも「親による虐待」があったか否か、ろくな調査もせずに「一時保護」してしまうわけである。

 「一時保護」というのは、人身拘束であるわけだから、通報した学校側と通報された親側と両者の意見を聞き取り、慎重にきちんとした調査しなければならないはずである。だが、学校側の意見だけを鵜呑みにして、本当に調査らしいことが行われないまま、「一時保護」される事態が起きたわけである。

「28条申立」により児童養護施設へ

 5月1日に純史を「一時保護」した児相は、「一時保護」期間の2か月が迫ったころ、平成25年6月28日、晃華学園の言うことを鵜吞みにして「親の虐待」があったとして、さいたま家裁に「28条申立」を行うと言ってくる。「28条申立」の審理は、通常は3か月だが、10か月間という異例に長いものになった。そして、平成26(2014)年6月、審判が出た。

 家裁は、「虐待」も「ネグレクト」も認めなかった。すなわち、晃華学園が虚偽通告していたことを認めた。ところが、申し立ては認められてしまい、7月に「純史は、所在が不明の児童養護施設に強制的に送り込まれてしまいました」(293頁)ということになった。

 不条理な話だが、現実である。「所在が不明の児童養護施設」とあるのは、親には養護施設の名前も住所も教えないということであろうか。

 養護施設に入った純史は、施設のある学区の公立小学校に通学しだした。だが、学籍は晃華学園にあり、公立小学校に通っても、欠席扱いであり続ける。ところが、いつのまにか、5年生になっていたという。どういう理屈なのか、よくわからない話である。

晃華学園と児相は、純史を「親なき子」にした――家族の破壊

 こうして純史は、児相に「一時保護」され、次いで養護施設に長期間収容されることになった。親子の関係は完全に遮断された。家族が破壊されたのである。この手記を書いた親は、次の様に、この晃華学園事件についてまとめている。

 いま純史は、可哀想に、「親なき子」にされ、愛情の担保が全くなく、職員の暴行と向精神薬の投与が横行する、いずことも知れぬ児童養護施設で、その特異な能力を開花させる機会を奪われ、その能力が不可逆的に低下してしまう悲惨な状態に置かれています。私は純史とは、現在まで2年半以上ものあいだ面会も通信も事実上遮断され、親子の意思疎通が完全に断たれてしまいました。親しかった晃華学園事件小学校のお友達と毎日楽しく机を並べて勉強できなくなり、家族生活が破壊されました。   294頁

 ここにまとめられているように、晃華学園事件とは、学校と児相が、純史という子供の学習権を侵害した事件である。また、純史の親の親権・教育権を奪い、純史親子という家族を破壊した事件である。

 そればかりではない。晃華学園は体罰肯定主義の教育を行い、体罰どころか児童への暴行を黙認していたにもかかわらず、「親による虐待」という虚偽通告を行い、純史の学習権を侵害し、家族を破壊したのである。なんとも悪質である。

 しかし、一番驚いたのは、家裁が「虐待通告」が虚偽であることを認めながら、それでも児相の「28条申立」を受け入れたことである。学校、児相、家裁の癒着ぶりには驚かざるを得ない。

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