母娘オランダ亡命事件――南出喜久治・水岡不二雄『児相利権』第6章より

 一応、ウクライナ戦争に関して私が押さえておくべきことは終わったので、親の懲戒権廃止問題の把握に移っていきたい。自民党の憲法改正案、特に緊急事態条項の把握も行わなければならないから、急いでおきたい。

南出喜久治・水岡不二雄『児相利権』

 この問題は、どうも、子供虐待問題における親と児相(児童相談所)及び児童養護施設などとの対立が関係しているということが分かったので、山脇由貴子『児童相談所が子供を殺す』(2016年、文春新書)を読んだが、児童相談所の運営が素人同然の児童福祉司らによって運営されていることを知った。

 次いで、南出喜久治・水岡不二雄『児相利権――「子ども虐待防止」の名でなされる児童相談所の人権蹂躙と国民統制』(八朔社、2016年)を読んだ。本書でも児童相談所の素人性が指摘されているが、それにとどまらず、本書は、「子ども虐待防止」問題をめぐる全体的な構造を示している。

児相や養護施設の虐待こそが問題だ

 山脇氏の本でも、あるいは一般にも、子供虐待と言えば、親が行うものと決めつけて対策を考える傾向があるが、本書によれば、虐待は、親よりもむしろ児童相談所や児童養護施設、更には学校が行うものの方が問題である。明確に虐待と言えることを児相などが行わないとしても、何よりも、親から子供を切り離して互いに連絡を取れないようにしていることが問題であると本書は言う。子供を親から隔離する場合の理由として使われるのが、「子ども虐待防止」である。親が子供を全く虐待していない場合にも、「子ども虐待」があったとして、子供が親から隔離されるケースが多々存在する。そして、5年、10年と隔離されてしまうことが起きている。

 こういう状態に泣き寝入りする親たちも多いが、子供を取り戻すために抵抗する親、裁判に訴える親も存在する。本書の中ではいろいろな事件が紹介されているが、まとまった形では、「第5章 児相被害の実像」で3つの事件が、「第6章 母娘オランダ亡命事件と海外の児童虐待防止政策」で1つの事件が紹介されている。そこで、この4つの事件についてみていくこととしたい。今回は、第6章の母娘オランダ亡命事件について、本書に基づき紹介していこう。

娘が「児童虐待」を理由に大村市の児童養護施設に収容された

 この事件の主人公である母親は「IT技術者であり、また自動車ラリーにも出場経験をもつほどの多能な人であった」(300頁)。平成19(2007)年8月、長崎県大村市内のコンビニで、娘が児相に連れ去られた。虐待されていると通報されたのである。児相(長崎県こども・女性・障害者支援センター)は、娘が「母親に尻をハンガーでたたかれるなどした」から「児童虐待」にあたるとして、児童福祉法28条に基づき、長崎家庭裁判所大村支部に養護施設への収容の申し立てをした。
*以下の条文の傍線部は私が引いたもの。
児童福祉法第28条 保護者が、その児童を虐待し、著しくその監護を怠り、その他保護者に監護させることが著しく当該児童の福祉を害する場合において、第二十七条第一項第三号の措置を採ることが児童の親権を行う者又は未成年後見人の意に反するときは、都道府県は、次の各号の措置を採ることができる。
一 保護者が親権を行う者又は未成年後見人であるときは、家庭裁判所の承認を得て、第二十七条第一項第三号の措置を採ること
第27条第1項
三 児童を小規模住居型児童養育事業を行う者若しくは里親に委託し、又は乳児院、児童養護施設、障害児入所施設、児童心理治療施設若しくは児童自立支援施設に入所させること。

 
 家裁は申し立てを却下した。理由は「入所させた場合、母親との関係が断絶し、修復困難になる可能性が高い」ということだった。ところが、児相は、福岡高裁に即時抗告を申し立てた。厚労省の手引きでは、家裁で却下されれば高裁に抗告するよう指示していたからである。福岡高裁は抗告を認容したため、娘は大村市の児童養護施設に収容された。母親は、最高裁に特別抗告したが、平成20(2008)年10月、棄却されてしまった。

娘を養護施設から奪還し、オランダへ逃亡した

 いったん収容されると、18歳まで収容され続けるケースも多い。そこで、母親は、平成20(2008)年10月24日、「児童養護施設から、児相被害にとりくむボランティア団体と祖父の力を借りて娘を救い出した」(301頁)。ただちに、福岡空港からオランダまで親子一緒に逃亡した。
  *祖父らは逮捕されたようである。

 これに対して、日本の警察は、「所在国外移送略取容疑」で国際手配した。26日にオランダに入国すると、娘はオランダの警察にいったん保護され、30日、裁判所で審判が開始された。この年の12月29日、オランダの裁判所は、「現在、虐待の兆候や心配はない」として、母娘の統合を認める決定をした。その結果、母娘は日本に強制送還されることなく、一緒に生活する権利が認められたのである。

オランダで母娘が一緒に生活できるようになった理由

 この親子の事件を知った時、驚いた。なぜ、日本とオランダで、このように処遇が違うのであろうか。

 オランダの裁判所で、母親は次のように主張した。「日本では虐待しているとされたが、しつけだった。十分な調査をせず、審判でも訴えを聞き入れてもらえなかった」(310頁)。母親は尻をハンガーで叩く行為を「しつけ」として行っていたのである。

 事件当時の日本では、法制上、親による体罰は肯定されていた。対して、オランダでは、学校でも家庭でも体罰は否定されており、有形力の行使は全面的に否定されている。にもかかわらず、オランダの方が、母親に対して寛容な態度をとったのである。

 なにゆえに、そうなるのか。オランダでは、親の言うことにきちんと耳を傾ける制度がある。また、過去に「虐待」または「虐待」らしきものがあった(「虐待」の通報が虚偽であることも多い)ということをいつまでも問題にする日本とは異なり、親による虐待があるかどうかは、現在どうかということを重視して判断される。「親が、もはや有形力を行使しないと約束したので、日本で有形力を行使した母親に対し、オランダで刑法上の手続きが取られることはなかった」(310頁)。

 その後、母親は、アムステルダムのIT企業に勤めながら、娘と平和に暮らしているという。
 
 この母娘の話は全く知らなかったので、ショッキングであった。なぜ、母娘はオランダにまで逃亡したのか。それは、日本では、いったん子供が隔離され親子の関係が切断されたら、その状態が長期間続くケースが多数存在するからである。そうなることを恐れて、母娘はオランダに、いわば亡命したのである。

 次に、第5章で紹介されている、3つのケースをみていこう。そのうえで、余裕があれば、オランダと日本の制度の違いについてまとめていこうと思う。

 なお、この事件については、以下の2009年読売新聞記事も参照されたい。
    http://www7a.biglobe.ne.jp/~kspro/news11.pdf
 
 転載自由

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック