親の懲戒権廃止を法制審議会部会が決めた……再掲《親の懲戒権廃止に断固反対する――これは家族解体の宣言となる》

2月1日、法制審議会の親子法制部会は、親の懲戒権を削除する民法改正要綱案をまとめた。今月中旬の審議会総会で正式決定し、法務大臣に答申する段取りのようだ。今年の国会で民法改正が決定し、体罰禁止に続いて親の懲戒権が正式に廃止されることになりそうである。

 これは極めて怖ろしい事態である。体罰禁止さえも拙速に行われすぎたのではないか、もっと落ち着いた状況の時に落ち着いた議論をふまえて決めていくべきではないかと思ったが、それどころか、虐待につながるからという理由で懲戒権廃止にまで及ぶとは、当たり前の精神状態でものごとを決めたとは到底思えない。懲戒権廃止は、選択的夫婦別姓制度案(これも家族解体効果はかなりあるが)などよりも本質的に家族を破壊していく効果をもつことになろう。ランダムに感じたことを記しておきたい。

 親の懲戒権廃止は教育権廃止を結果する

 ➀親の懲戒権の否定は、教育権が否定される効果をもたらすだろう。教育権は懲戒権と切り離して成立するか疑問だからである。教育権は懲戒権の補助を受けて成立すると考えるからこそ、現行法も教師の懲戒権を認めているのではないか。
 ②例えば厳しく叱責すれば、それが懲戒権を行使したと見なされ、親から子供を切り離すことが横行していく可能性が考えられる。児童相談所など公の施設側と親との抗争がさらに広がっていくだろう。
 ➂体罰禁止という点だけでも大きな変化だから、体罰禁止のプラスマイナスの効果を5年なり10年なり観察して見極めたうえで、懲戒権を維持すきべきか廃止すべきか議論すべきではないか。余りにも拙速である。
 ④しつけと称して虐待が横行するから懲戒権を廃止するというが、そんなことを言えば、教師の懲戒権も廃止しなければならなくなるが、その点を法制審はどう考えているのか。
 
 グローバリストと共産主義者による家族解体の計画

 ⑤虐待が増えているという数字はあるのか。虐待が増えているとしても、それは、国がこの30年間以上維持してきた教育政策がもたらしたものではないか、と思われる。中学校公民教育の歴史を見ると、1980年代以降どんどん家族論の比重が減っていき、2012(平成24)年度以降の多数派公民教科書から家族論は消えてしまった。最新版でもそうである。
 なぜ、そうなったのか。平成20年学習指導要領でグローバル化を必ず書かなければならなくなった。しかもグローバリズム万歳の内容で書かなければならなくなった。令和元(2019)年度検定では、検定過程で決定的にグローバリズムの考え方を押し付けられた。ナショナリズムを肯定すると受け取られる記述は何度も何度も修正させられた。また、20年指導要領では、家族論を書かなくてもよくなった。そして、前述のように、平成24(2012)年度使用以降の公民教科書の多数派から家族論が消えたのである。ともかく、国は、家族の意義を教えず、親子関係の在り方も教えない教育をし続けてきたのである。
 
 ⑥グローバリストは、共産主義者と同じく、国家と家族を敵視し、解体しようとする。グローバリズムの跋扈の中で、国家、特に国民国家を肯定する者は人種差別主義者、家族を肯定する者は女性差別主義者と潜在的にみなされるようになった。

 グローバリズムの跋扈の中で、2016年には、日本人を差別するヘイト法が作られた。次いで、親による虐待死をチャンスとばかりに、グローバリストと共産主義者は、家庭解体を目指して、親から懲戒権を奪うことを計画した。それが、今回の民法改正である。

 ⑦親から懲戒権を奪えば、親に代わって懲戒を行うビジネスが生まれるのではないか。そのビジネスは公的機関が主に担うと考えられるが、民間委託も考えられるし、純粋に民間が行うことも考えられる。ここにビジネスチャンスが生まれるという魂胆もあるのかもしれない。
 よくわからないが、「小さな政府」の掛け声が公的サービスの民営化を齎し、パソナなどのビジネスチャンスを生み出して彼らのぼろ儲けを生み出したことを思い起こしてみよう。この例とのアナロジーで考えれば、親が懲戒権を奪われていけば、家庭が持っていた懲戒機能を代行するビジネスが拡大していくことになるのではないか。

 ⑧19世紀以来、共産主義者は、家族の解体を狙って行動してきた。その狙いが、今回、日本に於て大きく果たされることになろう。
 ⑨懲戒権廃止という暴挙が行われる背景には、長年日本が一番力を入れてきた9条の平和主義がある。戦力放棄の思想が懲戒権廃止の思想につながったとみることができよう。

粛々と自死していく日本

 ともかく、日本は粛々と自殺に向っていく。ヘイト法以来、日本の保守派は潜在的に人種差別主義者として位置づけられるようになり、国家の解体は大きく進むことになった。今回、懲戒権廃止の民法改正がなされれば、家族解体は大きく進んでいく。
 左翼リベラルにしても、明確な共産主義者でない限り、日本国家の解体と家族の解体を望むものではないだろう。日本国民よ、懲戒権廃止に反対する声を挙げようではないか。

 
 なお、3年前に書いた《親の懲戒権廃止に断固反対する――これは家族解体の宣言となる》を再掲する。ここまで書いてきたことよりも、3年前のこの記事を読む方が、あらゆる読み手にとって有益だと思われる。是非、ご一読願いたい。

《親の懲戒権廃止に断固反対する――これは家族解体の宣言となる》2019年06月23日

 新聞やテレビを見る暇が戻って3カ月近くなる。しかし、新聞もテレビも正直見たくないし、見れば気力、元気がなくなる。いやなニュースであふれているからだ。特に、与野党問わず、安倍政権や国会がまたバカなことを始めないかと気が気でない。そのバカなことを阻止しようと思っても、私にはどうすることもできない。できたとしても、次から次にバカなことをやるものだから、もはやモグラ叩きにしかならない。そんなことよりも、1931年から1952年までの再評価に精力を傾けたほうが生産的である。私自身はもう日本のことはあきらめている。

 ただ、どうしようもなくズタズタにされ、ガタガタになっていった先に、反発力が働いて日本再建の光明が見えてくるかもしれない。その時に再建の手がかりとなる理論を残しておこうという微かな希を抱いて、私は生きている。
 
 親による体罰が禁止された

 以上のことは、2016年のヘイト法成立以来の経験で、嫌というほど分かった。しかし、全く沈黙を守るわけにもいかないことが生じた。4日前の6月19日、内閣提出の「児童虐待防止対策の強化を図るための児童福祉法等の一部を改正する法律案」が参議院で可決成立した。その結果、第一に、児童虐待の防止等に関する法律と児童福祉法などが改正され、親を初めとした保護者と児童相談所などによる児童(18歳未満)に対する体罰が禁止されることになった。

  まず、児童虐待の防止等に関する法律(児童虐待防止法)第14条第1項が次のように改正され、親権者の体罰が禁止された。赤字は付加されたり修正されたりした部分を指す。傍線は内容的に重要と思われる部分である。ともに、私が付した。

  児童の親権を行う者は、児童のしつけに際して、体罰を加えることその他民法(明治二十九年法律第八十九号)第八百二十条の規定による監護及び教育に必要な範囲を超える行為により当該児童を懲戒してはならず、当該児童の親権の適切な行使に配慮しなければならない。

 次いで、児童福祉法第33条の2第2項に但書が加えられ、児童相談所における体罰も禁止された。

  児童相談所長は、一時保護が行われた児童で親権を行う者又は未成年後見人のあるものについても、監護、教育及び懲戒に関し、その児童の福祉のため必要な措置を採ることができる。ただし、体罰を加えることはできない

 そして、児童福祉法第47条第3項に但書が加えられ、児童福祉施設(乳児院、保育所、児童養護施設その他)や里親の体罰も禁止された。

 児童福祉施設の長、その住居において養育を行う第六条の三第八項に規定する厚生労働省令で定める者又は里親は、入所中又は受託中の児童等で親権を行う者又は未成年後見人のあるものについても、監護、教育及び懲戒に関し、その児童等の福祉のため必要な措置をとることができる。ただし、体罰を加えることはできない

 要するに、家庭及び家庭の代替的なものと位置付けられる場所における体罰が禁止されたわけである。

 共産党を初めとした超党派が、親の懲戒権廃止を要望

  第二に、この「児童虐待防止対策の強化を図るための児童福祉法等の一部を改正する法律」により、親権者の懲戒権廃止が日程に上ってくることになった。この法律第6条第4項は、次のように規定している。

  政府は、この法律の施行後二年を目途として、民法(明治二十九年法律第八十九号)第八百二十二条の規定の在り方について検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする

 この法律の施行日は来年4月1日であるから、3年後、2022(令和4)年の4月までには民法第822条に定められた親の懲戒権を見直すことになった。既に、与野党共同で4カ月前に山下貴司法務大臣に「親の懲戒権廃止」を要望していたようだ。検討が始まれば、9割程度、懲戒権廃止が決定していくように予想される。
 

 家庭教育をめぐる現行法――親の第一義的責任、家庭教育の自主性 

  しかし、親による体罰の禁止にも疑問符が付くが、懲戒権廃止には大きな問題があるし、絶対に反対である。そこで、懲戒権廃止の意味を考えるために、いや懲戒権の意味を考えるために、教育と懲戒・体罰をめぐる現行国内法を見ておこう。

 教育法令の中では最も重要で、少なくとも理念的に「教育の憲法」と言われてきた教育基本法は、第10条で次のように規定している。

 教育基本法第10条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。

 2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。


 そもそも、親の子供に対する教育権は自然権的なものであり、子供の成長について、教育について最も責任を負うべき存在である。だからこそ、教育基本法は、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって」と規定しているのである。ちなみに、児童の権利に関する条約第18条第1項にも、次のように親の第一義的責任が謡われている。

  締約国は、児童の養育及び発達について父母が共同の責任を有するという原則についての認識を確保するために最善の努力を払う。父母又は場合により法定保護者は、児童の養育及び発達についての第一義的な責任を有する。児童の最善の利益は、これらの者の基本的な関心事項となるものとする。
 
 このように、第一義的な責任を持つ父母等には、国家社会からの一定の自立性が認められる。特に子供の教育に関して認められる。だからこそ、教育基本法第10条に戻れば、「家庭教育の自主性を尊重しつつ」と規定されているのである。親の第一義的責任ということ、家庭教育の自主性ということ、これら二点のことに注目しておきたい。

 教育を行うために親にも教師にも懲戒権がある

 親の子供に対する教育権は、民法でも規定されている。民法第820条は次のように規定している。

民法第820条  親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。 

  教育というものは、一定の強制を伴うものであり、そのことは、家庭でも学校でも変わりない。それゆえ、第820条の規定を受けて、第822条は親の懲戒権を定めている。

 第822条 親権を行う者は、第八百二十条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる。

 学校教育についても、学校教育法第11条は、次のように教師の懲戒権を認めている。

 (学生・生徒等の懲戒)
学校教育法第11条  校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。


 現行法は学校の体罰を禁止し、家庭の体罰を肯定している 

  民法と学校教育法を比較してみると、大きな違いが目につく。民法では親による子供に対する体罰禁止の規定は存在しないのに対して、学校教育法では教師による体罰は禁止されている。なぜ、こういう違いがあるのか。法務大臣その他の方には、是非とも考えていただきたいものである。

 学校教師にさえ認められる懲戒権は当然親にも認められる 

  私なりに考えれば、前に家庭教育に関して抽出した二つの事柄が理由だと思われる。すなわち、学校ではなく親こそが本来子供に対する教育に関して第一義的責任を担うからこそ、懲戒としての体罰が認められているのである。また、家庭教育の自主性という点から、国家は家庭に対しては余り立ち入るべきではないと考え、体罰が学校では禁止されていても家庭では認められているということであろう。体罰を否定するしないに関わらず、家庭教育と学校教育との違いを弁えて、親が第一義的責任を担うことをふまえて、制度を考えるべきであろう。

 にもかかわらず、今回、親等による子供に対する体罰の禁止が規定されてしまった。そもそも教育とはどういうものか、親と教師の違い、家庭と学校の違いというものはどういうものか、といったことに関する議論や考察が十分なされたうえで、今回の体罰禁止が決まったとは私には到底思えない。体罰禁止が決まるや、すぐに体罰の合理化、虐待の温床になるから懲戒権を廃止しろというふうに所謂保守派の議員たちも動いてしまっているからである。

 子供の教育に関して第一義的責任を担っているはずの親の懲戒権が否定されるならば、学校教師が懲戒権を持つのはおかしなことではないか。それとも、議員たちは学校教師の懲戒権も否定するつもりなのであろうか。

 懲戒権否定は、家族解体の宣言となる
 
  それにしても、親による子供に対する虐待死が社会的に問題となるや、あっという間に、親等による体罰禁止が決まってしまった。子供の痛ましい死を目の前にして、雰囲気的に感情的に決まってしまった感がするし、家庭教育の在り方について根本的な議論を行ったうえでの体罰禁止なのかという疑問が、私には残る。

 ただし、現行法体系に於ては、既に学校教育における体罰は戦前から禁止されているから、家庭における体罰禁止は理解できないわけではない。しかし、懲戒権廃止は、間違いなく、家庭教育の大崩壊を招来することになろう。私に言わせれば、親の懲戒権廃止とは明確に家族解体宣言の性格をもつことになろう。自由民主主義を奉ずる議員たちが懲戒権廃止を要望するとは、とんでもない話しである。家族、私有財産、国家を否定する共産主義者が要望することは分かる。日本共産党が要望するのは分かる。しかし、自民党や維新の会を初めとしたその他の政党は、社民党はともかくとして、共産主義を否定し自由主義と民主主義を支持する政党ではなかったのか。いつから、君たちは共産主義者になったのか

  既に、日本国は、「日本国憲法」第9条により、国家にとって最も重要な防衛機能を否定された存在である(実は、交戦権と戦力を認め、防衛機能を保持する解釈は可能であったし、可能である)。つまり、国家解体を半ば既に宣言させられれてしまった国である安倍偽改憲とは、国家解体の正式宣言となるものである。ここに、更に、社会の根幹をなす家庭を、与野党揃って解体しようとしている。それが、民法第822条に規定する懲戒権廃止の策動である。懲戒権廃止とは、間違いなく日本社会解体を目指すものである。

 2008(平成20)年、学習指導要領公民的分野から家族が消えた

  何を大げさなことを言うのか、と思われる方もいるかもしれない。しかし、子供に対する教育は、教育に関する歴史から言っても、自由民主主義社会の基本から言っても、親に第一義的責任がある。このことは、教育学や社会学、教育法学乃至教育行政学にとって常識であるはずだ。にもかかわらず、こんなに簡単に、マスコミや議員たちが、懲戒権廃止を唱えるトンデモ方向に走り出すとは、どうなっているのであろうか。

 ただ、戦後の中学校公民教科書における内容史を研究し始めて30年近くなる私には、驚きはない。今から10年以上前に、あっと驚く経験をしているからだ。
 *公民教科書史研究の成果は、『公民教科書は何を教えてきたのか』(2005年、展転社)、『公民教育が抱える大問題』(2009年、自由社)や『安倍談話と歴史・公民教科書』(自由社、2016年)などで発表している。 

  今から11年前の平成20(2008)年2月、文科省は、新学習指導要領案を発表し、広くパブリックコメントを求めた。その指導要領案を読んだとき、筆者は信じられない想いをした。平成10年の学習指導要領は、「家族や地域社会などの機能を扱い、人間は本来社会的存在であることに着目させ、……」と記していた。ところが、「家族や地域社会などの機能を扱い」の部分が削除された。家族や地域社会が新指導要領案から消えたのである。「つくる会」はパブリックコメントを行い、その中で、家族と地域社会を残すように要望を行った。だが、確定した指導要領にも家族と地域社会は復活しなかった。

 この指導要領の変化を受けて、何度も述べてきたことだが、平成23(2011)年版教科書から多数派教科書において家族論が消えた。23年版でも27年版でも、最低限の家族論を展開していると見なせるのは自由社、育鵬社、帝国書院の3社だけである。かつては、例えば昭和52(1977)年版では平均的に21頁もの紙数が家族論に当てられていた。ところが、23年版では、平均1.3頁となった。16分の1となったのである。現行版である平成27年版も同様の傾向が続いている。 

  こういう動きを眺めてみると、2008年より1年か2年ほど前から、共産主義と新自由主義が背景にあるのであろうが、日本の権力者たちは家族解体の方向を目指す決意をしたのかもしれないと思われる。


 家族、私有財産、国家の破壊

  ついでに言えば、公民教科書は、昔から、資本主義の前提である私有財産制を「日本国憲法」が維持していることを書きはしない。また、「日本国憲法」に忠実に国家論をほとんど展開してこなかった。そして、10年以上前からは、家族に関する教育もやめてしまったのである。

  歴史を振り返ってみれば、19世紀以来、共産主義者は、家族、私有財産、国家の解体を主張してきた。この共産主義者の主張は、既に、日本の公民教育で実現しているのである。かかる公民教育の土台の上に、懲戒権廃止に向けて、日本の議員たちは動き出したと見ることが出来よう。


 親の懲戒権廃止に反対せよ 

  日本の権力者たちには、或いは家族解体の決意というほどのものは無いのかもしれない。しかし、家族解体の動きは、12年ほど前から加速していることだけは確かである。何としても、この動きを止めなければならない。

  もう一度言う。親の懲戒権廃止は、家族解体の宣言となる。懲戒権廃止に反対する声を高めていただきたいと心から願うものである。


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