『新しい歴史教科書』の検定再申請を決定! --「つくる会」FAX通信より
「つくる会」は、下記のように、『新しい歴史教科書』の検定再申請を決定しました。ご一読ください。
これでようやく、検定合格した『新しい歴史教科書』と『新しい公民教科書』がセットで揃う形が整う可能性が高まりました。もともと、私を含めた公民教科書執筆者は、再検定申請支持の立場だったので大歓迎します。
検定合格してきた『新しい歴史教科書』と『新しい公民教科書』は大きな成果を挙げてきた
下記FAX通信の(4)に関して補足説明しておきます。二つのことを述べておきたいと思います。第一に、「つくる会」運動は大きな成果を挙げてきました。歴史教科書から見ますと、「南京大虐殺」という記述を「南京事件」に変化させてきました。また、自由社の「南京事件」不掲載は、中国の「世界記憶遺産」登録策動への撃ち返しとして大きな意味をもつものです。また、日本の戦争を「侵略」と位置付ける教科書を大減少させてきました。現行版で言えば、満州事変以降の戦いを侵略とするのは、東書、清水、学び舎の3社にまで減少させてきました。狭義の大東亜戦争については、明確に「侵略」と書く教科書は東京書籍一社になっています。30年ほど前の教科書、10年ほど前の教科書と比較すれば、その違いにびっくりするでしょう。
成果は、歴史教科書だけではありません。これまで、『新しい公民教科書』は3回しか検定申請しておらず、「つくる会」の推進する教科書として相応しいものになったのは、今回が初めてです。それでも、大きな成果を挙げてきています。目につくところでは、ほんの10年ほど前までは政治権力の必要性を記す教科書は少数派でしたが、現行版では完全な多数派になりました。国家を忌避する思想が異常に強かったからです。また、公共財の例として「国防」を入れる教科書は皆無でしたが、現行版では3社になりました。警察を公共財と捉えるのも、かつては少数派でしたが、現行版では全社となっております。(拙著『安倍談話と歴史・皇民教科書』自由社、2016年)
このような教科書史を振り返るとき、第二に、将来を見据えたとき、「つくる会」の検定合格した歴史教科書・公民教科書がどうしても必要だということになります。教科書を改善してきたのは、検定合格してきた「つくる会」教科書の力です。端的には、通州事件を書き、南京事件を書かない『新しい歴史教科書』は、歴史戦を闘ううえで貴重な存在です。また、日本の小学校から大学までの学校教科書の中で唯一普遍的な国家論・国際法の知識乃至感覚を学べる『新しい公民教科書』も、歴史戦を闘ううえで貴重です。日本人の規範意識が歪んでいるから、「侵略」や「南京事件」、慰安婦問題が成立することに気付かなければならないのです。
以上を踏まえれば、『新しい歴史教科書』の再検定申請が是非とも必要だということになります。
<声明>『新しい歴史教科書』検定再申請の決定について
令和2年(2020年)6月3日
新しい歴史教科書をつくる会
会長 高池 勝彦
新しい歴史教科書をつくる会は、株式会社自由社との協議を経て、5月26日の理事会で、昨年「不正検定」によって不合格とされた『新しい歴史教科書』を新設された制度に基づき、6月30日までに文科省に再申請する方針を決定しました。この方針の意味と、再申請を判断した背景を以下、説明いたします。
(1)従来の検定制度では、学習指導要領の基準から大きく外れる内容の教科書は別として、検定意見の多寡により不合格が直ちに確定するということはありませんでした。教科書会社が文科省の検定意見に従う限り、文科省はいかなる教科書も不合格にすることはできなかったのです。検定意見が教科書のページ数以上となる場合はいったん不合格と判定されますが、検定意見を参考に教科書を全面的に作り直して70日以内に再申請すれば、年度内に合格して翌年の採択に参加することが可能でした。現に、『新しい歴史教科書』は過去に2度、いったん不合格とされましたが、いずれの場合も再申請して合格し、翌年の採択にも参加しました。
(2)ところが、2016年3月に文科省の教科用図書検定調査審議会は、上記の「70日以内」という再申請の期間を、検定意見が教科書の総ページ数の1.2倍以上になった場合は「翌年の6月」にするという変更を行ったのです。これが、当会が「一発不合格」制度と命名した制度の内容です。規則上はどこにも「一発不合格」などの文言はなく、再申請も可能なのに、この用語はこの制度のあだ名として広く受け入れられ、メディアでも普通に使われるようになりました。それは再申請期間が翌年度の6月になると、4月から始まる年度の教科書採択に参加出来なくなるからです。教科書会社にとっては教科書は採択されなければ製作に投資した資本が回収できませんから、弱小の出版社なら必然的に倒産せざるを得ないということになります。「一発不合格」処分は死刑宣告のようなものです。
(3)この制度が過酷なものであることは、文科省自体がよくよく分かっていたことです。その証拠に、この制度を定める際に検定審議会は、「教科書発行者の過度な不利益を回避するため、翌年度に再申請を行い合格した図書については、都道府県教育委員会が調査を行い、市町村教育委員会等が必要に応じて採択替えを行うことができるようにする」という特例を設けました。しかし、これは「絵に描いた餅」に過ぎません。採択替えは4年に一度しか行われない原則は変わらないのですから、例外規定を設けたところで、現実問題として、4年間使う前提でA社と決めた教科書を、再申請で合格したB社の教科書が出て来たからといって、そちらの方に鞍替えする奇特な教育委員会が一つでもあるでしょうか。この例外規定によっても教科書会社の「不利益」は「回避」できません。この例外規定は、劇薬の「一発不合格」制度をカモフラージュするための道具でしかありません。
(4)では、つくる会は、なぜ、ほとんど採択の見込みのない『新しい歴史教科書』を敢えて再申請するのでしょうか。それは、つくる会の教科書が他の教科書とは異なる特別の役割を持っているという事情があるからです。つくる会の教科書も他の教科書会社と同様に教育委員会等によって採択され、学校で使われることを目指してきました。しかし、その成果は極めて僅かなものに留まっています。採択率は限りなくゼロに近いと言っても過言ではありません。しかし、採択率が小さくてもつくる会の教科書は教科書改善の上で大きな役割を現実に果たして来ました。つくる会の教科書の存在は、他社の教科書の内容に無視できない影響を与えてきたのです。つくる会が始まった当初の教科書を現在の教科書と比べると、その違いは明白です。日本軍の残虐行為を示す毒々しい絵や写真はほぼ一掃されました。従軍慰安婦の記述もなくなりました。さらにつくる会が存在することで、聖徳太子や坂本龍馬を教科書から抹殺しようとする教育行政の動きに歯止めをかけました。象徴的に言えば、「虚構の南京事件を一切書かず、実在した通州事件を書いた」つくる会の教科書が文科省検定済み教科書として存在するだけで、自虐史観克服の大きな土台石になっているのです。
(5)このように言ってもなお、繰り返し検定意見を批判し、「100項目の反論書」まで出版したつくる会が、いまさら文科省に屈服して検定意見に従うなどとは納得できないという意見や、それでは教科書検定制度の改革など吹っ飛んでしまうのではないかと考える人もいるでしょう。当然の疑問です。再申請すれば、また検定意見が付き、文科省(具体的には教科書調査官)との意見調整を余儀なくされます。しかし、それは、私たちが過年度の「不正検定」を免罪することを意味しません。過年度の検定意見はすでに文科省のホームページで公開されています。だから、これを公然と論じることには何の制約もないのです。再申請によって「検定済み教科書」としての地位を勝ち取ることと、過年度の「不正検定」を追及することとは、両方同時に並行して行うことが可能な課題なのです。
(6)さらに具体的に再申請のやり方を考えてみましょう。一つの思考実験として、仁徳天皇が「古墳に祀られている」が欠陥箇所とされ、「葬られている」が正しいとされた教科書調査官の検定意見を再申請ではどのようにするか、という例を挙げてみます。この論争では自由社側が圧倒的に勝っています。しかし、再申請においては、二つの表現とは別の系統の表現を工夫して対立を無くすことができます。例えば、「仁徳天皇 世界一の古墳で知られる」と書けば、これに検定意見を付けることはもはや出来なくなります。この点で一歩下がる不利益よりも、教科書全体を検定に合格させることの利益のほうがまさります。ここで肝心なことは、再申請でこのように第三の表現をとったからといって、昨年度の検定で、「葬られている」が正しいとする誤った検定を行った罪が免罪されることは決してないということです。すでに起こった「不正検定」の責任はどこまでも追及しなければなりません。そのための場として、つくる会は当面、①文科大臣への公開質問状、②教科書調査官との公開論争、③『教科書抹殺』での「反論100件」のジャッジを行う「国民検定」、の3つのイベントを提起しています。昨年度の検定は時間が経つと過去の出来事になってしまいかねませんが、再申請すれは再び現在進行形の問題として捉えられるという点でも、再申請は「不正検定」の追及に有利な状況をもたらすでしょう。
(7)念のため改めて言いますが、「一発不合格」制度は、一切の修正ができず、年度内再申請の道も断たれるという、非情で残酷な制度です。しかも、この制度を使ってつくる会の歴史教科書をなきものにするために、教科書調査官は無理に無理を重ねて、驚くべき不当・不正な検定意見を積み上げ、「欠陥箇所」に仕立て上げたのです。もし、修正の機会が与えられていれば、従来もそうしてきたように、私たちは上記の仁徳天皇の例に見られるような工夫をして検定に合格することを優先させたでしょう。私たちが雑誌「正論」編集部のつくる会批判論文に対し抗議声明まで出したのは、修正も再申請も許さないという「一発不合格」制度の凶暴な本質を全く理解しない無知の上に立って、文科官僚のふりまくデマそのままに、つくる会の「頑なさ」を今回の事件の原因であるかのように描き出す、的外れで不当な批判をしたからです。しかも、雑誌を読んでその謬論に惑わされる読者が必ず一定数いることを放置できなかったからです。
(8)つくる会が推進してきた歴史・公民教科書は、他社の教科書とは一線を画した、今の日本に存在しなければならない教科書です。一方でこの「存在感」を面白く思わない勢力は国内外、そして文科省内にも間違いなく存在します。それが故に、特定の陣営からは常に「戦争賛美」だとか「右翼」だとかのレッテルを張られ、敵視されてきました。文科省の検定においても、毎回「生徒が誤解するおそれのある表現である」という条項を悪用して、奇妙な検定意見を多数付けられてきました。採択現場でも「採択するとやっかいにまきこまれる」という「事なかれ主義」によって採択が妨げられてきました。今回の「一発不合格」処分は、つくる会に対する反対勢力の宿願を果たしたものです。だからこそ、再申請によって『新しい歴史教科書』が「文科省検定済み教科書」の地位を獲得し、日本政府が公認した正規の教科書でありつづけることに大きな意義があるのです。これらの勢力は恐らく今回の「一発不合格」によって、つくる会の息の根を止めたと思っているでしょう。目の上のたんこぶであった教科書を葬り去ることで、各社教科書の記述の自虐度を再び高めることができると内心喜んでいることでしょう。そういう状況になるのを阻止するためにも、私たちは歴史教科書を出し続けます。つくる会の歴史教科書の復活は間違いなく彼らの目論見を大きく後退させ、その結果、日本の教科書を改善することに寄与するでしょう。
以上、長くなりましたが、最も大切な原点は、「文科省検定済み教科書」としての『新しい歴史教科書』の火を消してはならないということです。このことは、文科省「不正検定」を正す会の意見広告に篤い支持を寄せて下さった皆様の強い希望でもあると確信しています。
今回の「検定不合格」というつくる会にとっての大ピンチは、逆に文科省を追い詰め、検定制度を改革する千載一遇のチャンスでもあります。今回の再申請は、さらに反対勢力を追い詰める結果になるでしょう。会員、支援者の皆様におかれましては、このような検定再申請の意義について、どうかご理解を賜り、各種活動へのご参加と変わらぬご支援をよろしくお願い申し上げる次第です。 (以上)
転載自由
これでようやく、検定合格した『新しい歴史教科書』と『新しい公民教科書』がセットで揃う形が整う可能性が高まりました。もともと、私を含めた公民教科書執筆者は、再検定申請支持の立場だったので大歓迎します。
検定合格してきた『新しい歴史教科書』と『新しい公民教科書』は大きな成果を挙げてきた
下記FAX通信の(4)に関して補足説明しておきます。二つのことを述べておきたいと思います。第一に、「つくる会」運動は大きな成果を挙げてきました。歴史教科書から見ますと、「南京大虐殺」という記述を「南京事件」に変化させてきました。また、自由社の「南京事件」不掲載は、中国の「世界記憶遺産」登録策動への撃ち返しとして大きな意味をもつものです。また、日本の戦争を「侵略」と位置付ける教科書を大減少させてきました。現行版で言えば、満州事変以降の戦いを侵略とするのは、東書、清水、学び舎の3社にまで減少させてきました。狭義の大東亜戦争については、明確に「侵略」と書く教科書は東京書籍一社になっています。30年ほど前の教科書、10年ほど前の教科書と比較すれば、その違いにびっくりするでしょう。
成果は、歴史教科書だけではありません。これまで、『新しい公民教科書』は3回しか検定申請しておらず、「つくる会」の推進する教科書として相応しいものになったのは、今回が初めてです。それでも、大きな成果を挙げてきています。目につくところでは、ほんの10年ほど前までは政治権力の必要性を記す教科書は少数派でしたが、現行版では完全な多数派になりました。国家を忌避する思想が異常に強かったからです。また、公共財の例として「国防」を入れる教科書は皆無でしたが、現行版では3社になりました。警察を公共財と捉えるのも、かつては少数派でしたが、現行版では全社となっております。(拙著『安倍談話と歴史・皇民教科書』自由社、2016年)
このような教科書史を振り返るとき、第二に、将来を見据えたとき、「つくる会」の検定合格した歴史教科書・公民教科書がどうしても必要だということになります。教科書を改善してきたのは、検定合格してきた「つくる会」教科書の力です。端的には、通州事件を書き、南京事件を書かない『新しい歴史教科書』は、歴史戦を闘ううえで貴重な存在です。また、日本の小学校から大学までの学校教科書の中で唯一普遍的な国家論・国際法の知識乃至感覚を学べる『新しい公民教科書』も、歴史戦を闘ううえで貴重です。日本人の規範意識が歪んでいるから、「侵略」や「南京事件」、慰安婦問題が成立することに気付かなければならないのです。
以上を踏まえれば、『新しい歴史教科書』の再検定申請が是非とも必要だということになります。
<声明>『新しい歴史教科書』検定再申請の決定について
令和2年(2020年)6月3日
新しい歴史教科書をつくる会
会長 高池 勝彦
新しい歴史教科書をつくる会は、株式会社自由社との協議を経て、5月26日の理事会で、昨年「不正検定」によって不合格とされた『新しい歴史教科書』を新設された制度に基づき、6月30日までに文科省に再申請する方針を決定しました。この方針の意味と、再申請を判断した背景を以下、説明いたします。
(1)従来の検定制度では、学習指導要領の基準から大きく外れる内容の教科書は別として、検定意見の多寡により不合格が直ちに確定するということはありませんでした。教科書会社が文科省の検定意見に従う限り、文科省はいかなる教科書も不合格にすることはできなかったのです。検定意見が教科書のページ数以上となる場合はいったん不合格と判定されますが、検定意見を参考に教科書を全面的に作り直して70日以内に再申請すれば、年度内に合格して翌年の採択に参加することが可能でした。現に、『新しい歴史教科書』は過去に2度、いったん不合格とされましたが、いずれの場合も再申請して合格し、翌年の採択にも参加しました。
(2)ところが、2016年3月に文科省の教科用図書検定調査審議会は、上記の「70日以内」という再申請の期間を、検定意見が教科書の総ページ数の1.2倍以上になった場合は「翌年の6月」にするという変更を行ったのです。これが、当会が「一発不合格」制度と命名した制度の内容です。規則上はどこにも「一発不合格」などの文言はなく、再申請も可能なのに、この用語はこの制度のあだ名として広く受け入れられ、メディアでも普通に使われるようになりました。それは再申請期間が翌年度の6月になると、4月から始まる年度の教科書採択に参加出来なくなるからです。教科書会社にとっては教科書は採択されなければ製作に投資した資本が回収できませんから、弱小の出版社なら必然的に倒産せざるを得ないということになります。「一発不合格」処分は死刑宣告のようなものです。
(3)この制度が過酷なものであることは、文科省自体がよくよく分かっていたことです。その証拠に、この制度を定める際に検定審議会は、「教科書発行者の過度な不利益を回避するため、翌年度に再申請を行い合格した図書については、都道府県教育委員会が調査を行い、市町村教育委員会等が必要に応じて採択替えを行うことができるようにする」という特例を設けました。しかし、これは「絵に描いた餅」に過ぎません。採択替えは4年に一度しか行われない原則は変わらないのですから、例外規定を設けたところで、現実問題として、4年間使う前提でA社と決めた教科書を、再申請で合格したB社の教科書が出て来たからといって、そちらの方に鞍替えする奇特な教育委員会が一つでもあるでしょうか。この例外規定によっても教科書会社の「不利益」は「回避」できません。この例外規定は、劇薬の「一発不合格」制度をカモフラージュするための道具でしかありません。
(4)では、つくる会は、なぜ、ほとんど採択の見込みのない『新しい歴史教科書』を敢えて再申請するのでしょうか。それは、つくる会の教科書が他の教科書とは異なる特別の役割を持っているという事情があるからです。つくる会の教科書も他の教科書会社と同様に教育委員会等によって採択され、学校で使われることを目指してきました。しかし、その成果は極めて僅かなものに留まっています。採択率は限りなくゼロに近いと言っても過言ではありません。しかし、採択率が小さくてもつくる会の教科書は教科書改善の上で大きな役割を現実に果たして来ました。つくる会の教科書の存在は、他社の教科書の内容に無視できない影響を与えてきたのです。つくる会が始まった当初の教科書を現在の教科書と比べると、その違いは明白です。日本軍の残虐行為を示す毒々しい絵や写真はほぼ一掃されました。従軍慰安婦の記述もなくなりました。さらにつくる会が存在することで、聖徳太子や坂本龍馬を教科書から抹殺しようとする教育行政の動きに歯止めをかけました。象徴的に言えば、「虚構の南京事件を一切書かず、実在した通州事件を書いた」つくる会の教科書が文科省検定済み教科書として存在するだけで、自虐史観克服の大きな土台石になっているのです。
(5)このように言ってもなお、繰り返し検定意見を批判し、「100項目の反論書」まで出版したつくる会が、いまさら文科省に屈服して検定意見に従うなどとは納得できないという意見や、それでは教科書検定制度の改革など吹っ飛んでしまうのではないかと考える人もいるでしょう。当然の疑問です。再申請すれば、また検定意見が付き、文科省(具体的には教科書調査官)との意見調整を余儀なくされます。しかし、それは、私たちが過年度の「不正検定」を免罪することを意味しません。過年度の検定意見はすでに文科省のホームページで公開されています。だから、これを公然と論じることには何の制約もないのです。再申請によって「検定済み教科書」としての地位を勝ち取ることと、過年度の「不正検定」を追及することとは、両方同時に並行して行うことが可能な課題なのです。
(6)さらに具体的に再申請のやり方を考えてみましょう。一つの思考実験として、仁徳天皇が「古墳に祀られている」が欠陥箇所とされ、「葬られている」が正しいとされた教科書調査官の検定意見を再申請ではどのようにするか、という例を挙げてみます。この論争では自由社側が圧倒的に勝っています。しかし、再申請においては、二つの表現とは別の系統の表現を工夫して対立を無くすことができます。例えば、「仁徳天皇 世界一の古墳で知られる」と書けば、これに検定意見を付けることはもはや出来なくなります。この点で一歩下がる不利益よりも、教科書全体を検定に合格させることの利益のほうがまさります。ここで肝心なことは、再申請でこのように第三の表現をとったからといって、昨年度の検定で、「葬られている」が正しいとする誤った検定を行った罪が免罪されることは決してないということです。すでに起こった「不正検定」の責任はどこまでも追及しなければなりません。そのための場として、つくる会は当面、①文科大臣への公開質問状、②教科書調査官との公開論争、③『教科書抹殺』での「反論100件」のジャッジを行う「国民検定」、の3つのイベントを提起しています。昨年度の検定は時間が経つと過去の出来事になってしまいかねませんが、再申請すれは再び現在進行形の問題として捉えられるという点でも、再申請は「不正検定」の追及に有利な状況をもたらすでしょう。
(7)念のため改めて言いますが、「一発不合格」制度は、一切の修正ができず、年度内再申請の道も断たれるという、非情で残酷な制度です。しかも、この制度を使ってつくる会の歴史教科書をなきものにするために、教科書調査官は無理に無理を重ねて、驚くべき不当・不正な検定意見を積み上げ、「欠陥箇所」に仕立て上げたのです。もし、修正の機会が与えられていれば、従来もそうしてきたように、私たちは上記の仁徳天皇の例に見られるような工夫をして検定に合格することを優先させたでしょう。私たちが雑誌「正論」編集部のつくる会批判論文に対し抗議声明まで出したのは、修正も再申請も許さないという「一発不合格」制度の凶暴な本質を全く理解しない無知の上に立って、文科官僚のふりまくデマそのままに、つくる会の「頑なさ」を今回の事件の原因であるかのように描き出す、的外れで不当な批判をしたからです。しかも、雑誌を読んでその謬論に惑わされる読者が必ず一定数いることを放置できなかったからです。
(8)つくる会が推進してきた歴史・公民教科書は、他社の教科書とは一線を画した、今の日本に存在しなければならない教科書です。一方でこの「存在感」を面白く思わない勢力は国内外、そして文科省内にも間違いなく存在します。それが故に、特定の陣営からは常に「戦争賛美」だとか「右翼」だとかのレッテルを張られ、敵視されてきました。文科省の検定においても、毎回「生徒が誤解するおそれのある表現である」という条項を悪用して、奇妙な検定意見を多数付けられてきました。採択現場でも「採択するとやっかいにまきこまれる」という「事なかれ主義」によって採択が妨げられてきました。今回の「一発不合格」処分は、つくる会に対する反対勢力の宿願を果たしたものです。だからこそ、再申請によって『新しい歴史教科書』が「文科省検定済み教科書」の地位を獲得し、日本政府が公認した正規の教科書でありつづけることに大きな意義があるのです。これらの勢力は恐らく今回の「一発不合格」によって、つくる会の息の根を止めたと思っているでしょう。目の上のたんこぶであった教科書を葬り去ることで、各社教科書の記述の自虐度を再び高めることができると内心喜んでいることでしょう。そういう状況になるのを阻止するためにも、私たちは歴史教科書を出し続けます。つくる会の歴史教科書の復活は間違いなく彼らの目論見を大きく後退させ、その結果、日本の教科書を改善することに寄与するでしょう。
以上、長くなりましたが、最も大切な原点は、「文科省検定済み教科書」としての『新しい歴史教科書』の火を消してはならないということです。このことは、文科省「不正検定」を正す会の意見広告に篤い支持を寄せて下さった皆様の強い希望でもあると確信しています。
今回の「検定不合格」というつくる会にとっての大ピンチは、逆に文科省を追い詰め、検定制度を改革する千載一遇のチャンスでもあります。今回の再申請は、さらに反対勢力を追い詰める結果になるでしょう。会員、支援者の皆様におかれましては、このような検定再申請の意義について、どうかご理解を賜り、各種活動へのご参加と変わらぬご支援をよろしくお願い申し上げる次第です。 (以上)
転載自由
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