八木秀次「つくる会会長、中国『反日の本丸』に乗り込む」を読んで―――育鵬社が中国に屈服する原点

 この間、ずっと、育鵬社盗作問題、育鵬社による「南京事件」肯定の問題、八木訪中問題、「つくる会」分裂騒動という四件の事柄を追いかけている。

 四件のうち八木訪中問題は、「つくる会」分裂の直接原因ではないが、今日から見れば本質的な原因となった問題である。「つくる会」が作成していた「理事会が真に危惧していた八木氏らのもうひとつの“暴走”―――中国社会科学院の企図する日本攻略に関して」という文書で指摘されているように、八木氏は、訪中以降、ひそかに執行部にも理事会にも図ることなく、中国との交流路線に会の方針を転換しようとしていた。だが、この転換に失敗し、この失敗が直接原因ではないが、会を去って行ったのである。

   「だまし討ち」に抗議しなかった八木氏  

  では、八木氏の訪中とはどういうものだったのか。そのことについては、前に掲げた、福原慎太郎氏の証言をまとめた「昨年12月の中国研修旅行について」(平成18年2月18日)という記録によって知ることが出来る。

  この記録からは、福原氏はどうか分からないが、若手事務職員3名も八木氏も、軽いノリで観光気分で中国行を決め、勧められるままに、その軽いノリで中国社会科学院日本研究所を訪れてしまったことがわかる。中国旅行に行った7名のうち、『正論』の小島氏と福原氏以外の5名、すなわち八木、宮崎事務局長、若手事務局員は観光気分で行ったことは確かである。

  しかし、軽いノリで単なる懇談のつもりで訪れた八木氏らを、中国社会科学院は、手ぐすね引いて待っていた。福原氏は、次のように証言している。
 
福原の認識としては、非公式な訪問でもあり、「簡単な懇談」であると理解していたが、出発の前日(12月15日)夜、張研究員より懇談内容のメールが届き、社会科学院側の発表者、順番がきっちり組まれていること、懇談時間が3時間に延びていることに驚く
⇒宮崎事務局長には当日その場で報告、八木会長には翌日(当日)朝成田空港にて報告

  
  予定と違うので驚いたが、そのまま一行は、初日の12月16日、中国社会科学院を訪れる。そして、『新しい歴史教科書』の内容をめぐって、中国側と「懇談」という形で討論している。このときの様子、討論の内容は、八木氏が『正論』平成18年3月号、4月号に「つくる会会長、中国『反日の本丸』に乗り込む」という文章からうかがい知ることが出来る。内容に沿ったタイトルを付ければ、「飛んで火にいる夏の虫――――つくる会会長、中国に屈服」というのがふさわしいであろう。

  当時、前半の3月号を読んだだけで気持ちが悪くなり、中国に「つくる会」は屈服したのかと思ったことを覚えている。今回、改めて前半後半と読んでみたが、特に感じたことを記しておきたい。

  まず、何よりも、八木氏が会の理事会にも断らずに中国社会科学院を訪れ、しかも懇談という名の討論をしたことはとんでもないことである。中国側と話し合うことが悪いわけではないが、当然、準備を入念に行い、強力なメンバーを用意して臨まなければならないはずである。ところが、八木氏は、4月号で次のように言い訳している。
 
  私たち日本側はプライベートな旅行ということもあって、討論をするつもりで社会科学院を訪れたわけではなかった。日本側の一人と中国側の数人が旧知の関係もあって、スタッフ数人との文字通り懇談とのイメージだった。しかし、結果は、日本側は学者は私一人、他は事務局スタッフと本誌編集部員というメンバーで中国の代表的日本研究者と論戦することになった。中国側は原稿を用意し、こちらは不十分なメンバーで即興の論戦ということで、その点、日本側の主張に物足りないものを感じる読者もいよう。

  完全に、八木氏は「だまし討ち」にあったのだ。そもそも不用意に中国社会科学院に行こうとしたこと自体も問題だが、八木氏は、なぜ、「話が違う」として引き揚げなかったのか。そもそも八木氏は歴史の専門家でも歴史教育の専門家でもないし、『新しい歴史教科書』の執筆にも係っていない。しかも、お世辞にも、氏は、討論に強いとはいえない。氏の文章はわかりやすいが、話は本当にキレがなく、わかりにくい。氏は、自己の実力を冷静に判断するならば、決して中国側と討論していけなかったのだと思う。それに、仮に八木氏が歴史家であり、討論に強いと仮定しても、学者一人で討論するなどとんでもないことである。本当に、中国をなめていたのではないか。


   なぜ、『新しい歴史教科書』だけを議論の対象にするのか 

  要するに、第一に、八木氏が中国社会科学院と懇談したこと自体、誤っていると指摘しておこう。第二の問題は、議題の立て方である。なぜ、『新しい歴史教科書』の内容だけが議題になるのか。なぜ、中国の国定教科書の内容を問題にしないのか。日本側の、しかも民間の検定教科書だけを問題にするなど、中国による一方的な内政干渉を認めたことになるではないか。こんな議題の立て方では、仮に日本側が論戦で勝とうとも、内政干渉を認めたというマイナス点が残ってしまうことに注意しなければならない。

  言われっぱなしの日中懇談

では、論戦自体はどうか。『正論』の記事の通りであれば、このメンバーにしては善戦したともいえる。だが、議題の立て方を問題にしないとしても、完全に中国側の圧勝である。ノックアウトはくらっていないが、ボクシングで言えば、「つくる会」側は何度かダウンし、大差の判定で完敗している。準備万端整えていた中国側が、何の準備もせず自ら飛び込んできた「飛んで火にいる夏の虫」となった日本側を簡単に料理した、という構図である。中国側が押しまくっていたということは、『正論』の記事の分量にも表れている。中国側の発言には15頁が割かれているのに対し、日本側の発言は6頁にすぎない。言われっぱなしだったことが数字にも現れている。それゆえ、当時、中国では「つくる会」は屈服したと伝えられたという。当時『正論』を読んだ私も、そのように思ったことは前述のとおりである。


  では、どういう議論が行われたか、見ていこう。特に、なぜ「南京事件」を育鵬社は肯定するに至ったのか、という問題意識から見ていこう。まず、簡単に懇談の内容を紹介しておこう。最初に、中国社会科学院日本研究所所長・蒋立峰氏と八木氏が相互に最初の挨拶をしている。その蒋氏の挨拶で興味深いのが、「一九九五年、村山内閣が十億円の資金を提供して中日歴史研究を助成して以来、中国人学者はその助成金を利用して大量の学術レベルの高い著作を出版しました」と述べていることである。その前に2005年には「河北省のみで十巻の『日本の中国華北地区侵略文書』をしましたし、日本軍国主義の侵略を受けた各省で出版された研究成果は数えきれないほどです」と述べている。つまり、日本の援助で反日研究が行われてきたというわけである。

  歩平氏――「大東亜戦争」を「太平洋戦争」に変えよ

  二人の挨拶後、中国社会科学院近代史研究所所長・歩平氏が、『新しい歴史教科書』に対する総括的な批判を行った。氏は、『新しい歴史教科書』は「戦前の教科書の歴史観ないし立場と類似もしくは一致している点が多いことだと思います」として、「日中間の文化と文明の対立面がたくさん書かれてい」ることが問題だとする。第二に、「神武天皇について書かれていること、そして日本が神国であることを強調しているという問題もあります」とする。第三に、「戦争に関する論述です。相当な問題があると思います。太平洋戦争を大東亜戦争といい、そしてこの戦争の性質を侵略戦争と認めていないということは間違いであり、(傍線部は引用者、以下同じ)大きな問題であると思います」とする。そして「戦時中の日本の軍隊の残虐的な行為、加害性についても、何も書かれていません」と批判する。更に第四に、「『つくる会』の立場としてはおそらく、現在の教育現場に存在している問題は、今までの教科書に責任がある、日本が侵略戦争をしたという一つの歴史観で書かれた教科書が、今の日本人が自分の国に対して反感を抱かせているということに責任を負わせているのだと思います」とする。

  これに対して八木氏が回答しているが、第一、第二の指摘に対する回答は、こんなものだと思う。だが、第三、第四の問題に関する回答は、どうもおかしなものである。戦争の問題について氏は、「先の大戦」には自衛戦争、「アジア解放の側面」、「侵略的な側面」の三つの側面があるとしたうえで、「したがって侵略的な側面があったことについてまったく記述していないということではなく、読んでいただくとそのような記述は多く見られます」と述べている。傍線部のようなことを述べてしまうと、「もっと加害の記述を増やせ、せめて『南京事件』を書け」という話になってしまうことに注意されたい。事実、育鵬社は、申請本段階から「南京事件」をあったものとして書くようになったし、同じく申請段階から創氏改名を朝鮮人の姓名を奪ったものとして書くようになってしまった。更に言えば、歩平氏の脅しが効いたのであろうが、育鵬社版単元72は、タイトル名を「太平洋戦争(大東亜戦争)」としている。しかし、平成14年の扶桑社版単元74では、「大東亜戦争(太平洋戦争)」としていたことを思い出していただきたい。せっかく、太平洋戦争から大東亜戦争に転換しつつあったのに、後戻りさせてしまったのが育鵬社の歴史教科書なのである。

   
   「つくる会」会長の自覚のない八木氏   

  しかし、一番おかしいのは、第四の指摘に対する回答である。氏は次のように言う。

  それから日本の教育危機を私どもとしてすべて教科書に原因を求めているのではないかというご指摘がありましたが、それもまったく違っております。教育の危機につきましては、さまざまな原因があることを、それはたとえば私も……いわゆる「ゆとり教育」等がわが国の教育危機をもたらした大きな原因であると指摘もしております。したがって私どもとしては、教科書の記述の改善、是正ということを考えておりますが、それは大きな教育問題の中の部分と考えておりまして、我が国の教育の危機がすべて教科書問題に原因があるという認識ではないということを述べておきたいと思います。

  別に間違ったことを述べているわけではない。普通の教育関係者の回答としてはこれで良いともいえる。しかし、これは、「つくる会」会長の言葉ではない。歴史教科書問題を起点にしてつくられた会の責任者の言うことではない。ここは、いかに、日本の子供たちや青少年、更には大人までもが日本人としての自尊心を無くしているか、そのことがいかにいろんな問題を生んでいるか、展開すべきところである。そして、『新しい歴史教科書』が、日本にとってどうしても必要な理由を展開すべきところである。どうも、八木氏には、「つくる会」会長の自覚が欠けているようである。もっとも、その自覚があれば、理事会に諮らずに中国社会科学院との懇談などするわけがなかっただろうけれども。

  30万人も3万人も一緒だ――――王屏氏の発言 

   しかし、ここまではまだ半分以上は言い返しているからましである。この後は言われっぱなしになっている。歩平氏とそれに対する八木氏の回答の後、日本研究所対外関係研究室長・金熙徳氏と、日本研究所政治研究室副室長王屏氏が「南京事件」について発表している。金氏は、「これから中国の近代史の資料が発掘され、南京大虐殺三十万人がどういうものかという資料が次々と出るんですよ」と述べているし、王氏は「三十万人を殺すことと三万人を殺す、違いがないんですよ。みんな虐殺でしょう。人数だけ議論すればあまり意味がない」と述べている。

  金氏の言うようには資料は全く出てきていないが、王氏の言葉に注目すべきであろう。中国にとっては、人数は問題ではなく、「南京事件」を日本側に認めさせればよいのである。そうすれば、虐殺として反日宣伝に使えると考えているわけである。その意味でも、育鵬社は、検定申請段階から「事件」の存在を肯定する書き方をすべきではなかったということが出来よう。

  日本の検定教科書は中国の承認がいる―――金熙徳氏 

  しかし、もっと注目すべきは、国際政治を研究している日本研究所対外関係研究室長・金熙徳氏の発言である。

  中国と関係のある部分は、中国人も関心を持ち、議論します。そのことを念頭に置かなければならないでしょう。
  中国人の反論に耳を貸さなくてよいとは言えません。なぜなら、日本政府が内容を審査しているからです。

  中国人が見て、近代史の面で明らかに受け容れられないものは外交問題になるんですよ。
  

  近隣諸国条項があるから出てくる発言であるが、堂々と、いわば、中国が教科書検定権を持っていると述べているのである。これに対しては、日本側からは、「だったら、日本の関係する中国の教科書については、日本人の意見に中国は耳を貸す必要がありますね。中国の教科書は国定教科書ですから、余計にそうですね。」といった反論があるべきだが、全くそのような反論は行っていない。
*中国も、国定制度から検定制度に変化しているので、抹消線を引いた……2012年9月22日 

  ここまでが3月号の内容である。4月号では、最初に、日本研究所日本文化研究室主任・王偉氏が発表を行い、「日本人は被害者意識だけを抱えていて、加害者意識がないわけです。」と述べ、更に盧溝橋事件は日本が起こしたものであるとまでいう。次いで、日本研究所対外関係研究室研究員の呉万虹氏が発表を行い、いわゆる中国残留孤児の問題を取り上げ、「中国人は、侵略をした側の人に対して、一貫して非常に寛大で寛容な政策をとってきたのです。」と発言している。最後に、6人目の発表者として、日本研究所対外関係研究室見習研究員の呉懐中氏が、ナショナリズムは必要だとしつつ、「つくる会」のナショナリズムの向かう方向は健全なものではないのではないかと述べている。これらの発表に対して、日本側は的確な批判を行い得ていないし、遠慮がちに述べているにすぎない。

  何とも歯がゆいのは、日露戦争で日本が国の存亡を賭けて戦ったからこそ、中国という国は存続しえたのだということを言い返していないことである。あるいは上海事変こそ「日中戦争」の原因であり、この事変は中国が仕掛けたものである、戦争を始めたのは中国であるといったことを言いかえしていないことである。
 
  育鵬社は中国社会科学院の要求を入れ「南京事件」を肯定した 

   最後の討論で蒋・日本研究所長は、二つのことを強調している。

  事実についてはもちろん意見が分かれても構わいなけれども、まず侵略であったということを認めないと、これ以上話す必要はありません。

  私の言いたいことは、具体的な事件、たとえば南京事件、われわれが大虐殺といっている事件の犠牲者数は確かに双方の認識は違っています。しかしその事件があったこと自体も認めないのはおかしいということです。


  つまり、「侵略」を認めよ、「南京事件」の存在を認めよ、という二点である。更に、前述のように「大東亜戦争」から「太平洋戦争」に変えよという要求も、この懇談という名の討論で出ている。しかも、中国側は、日本の歴史教科書には中国の承認が必要なのだという姿勢を示していた。結局、育鵬社はこれら三点の要求のうち、「侵略」以外の二点を受け入れ、更には、中国語読み・韓国語読みのルビを振るようになったのである。このような対中韓隷属路線への転換の出発点こそ、八木訪中であったことを確認して筆を擱きたい。

補記……八木訪中後、平成18年5月17日に改善の会に行くグループが、中国社会科学院日本研究所長らと日中対話をもつ。この時の討論でも、上記二点の要求がなされたという。そして、注目すべきは、この会合に李春光が出ていたことである。「南京事件」肯定は、こういう背景で行われたのである。

李が5月17日の会合に出ていた証拠については、以下の記事を参照されたい。

  http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1340.html

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