八木氏中国旅行をめぐる証言--福原慎太郎氏証言、平成18年2月18日 2012年6月16日校訂・補記

   前々回、つくる会が6年前に発表していた文書、「理事会が真に危惧していた八木氏らのもうひとつの“暴走”―――中国社会科学院の企図する日本攻略に関して」を掲載した。今回は、この文書を作成するための基礎資料となった福原慎太郎氏の証言を掲載する。小見出しや色付けは、ブログ掲載にあたり、私が付したものである。
          https://kenpokominrekishi.seesaa.net/article/201205article_13.html
    

   平成18年2月1日、『正論』3月号が出され、八木氏の中国社会科学院との懇談が掲載された。全く八木氏による懇談、いや中国行さえも知らされていなかったつくる会は、更に大混乱に陥った。私も3月号を読み、何か裏があるのではないかと感じたことを憶えている。なぜ、こんな時期に中国へ行くのか、訝しく思ったことを憶えている。

   前回、八木氏の中国旅行問題から「南京事件」肯定までの一連の流れをめぐって、18項目の疑問を呈しておいた。今回掲げる福原証言を読むと、疑問②福原氏は何を考えて中国旅行をお膳立てしたのか、⑦若手事務局員は何を考えて中国に行ったのか、⑩八木氏は、なぜ、中国社会科学院・日本研究所を訪問し、懇談してしまったのか
、といったことは大体知ることが出来る。

  ②について……福原氏が何を考えて中国旅行を企画したか、この証言を読んだだけでは本当には分からない。しかし、氏が中国社会科学院・日本研究所まで「つくる会」関係の人間を連れていくつもりだったことはよく分かる。ただし、氏としては、当初、八木氏が付いてくるとまでは思っていなかった可能性が高いように思われる。
   八木氏がついてくることがはっきりしてからは、八木氏を中国社会科学院・日本研究所にまで連れて行くことまで考えていたことも確かである。ただし、氏の証言によれば、3時間もの本格的な懇談という形になるとは思っていなかったという。

  ⑦⑩について……福原氏はどうか分からないが、若手事務職員3名も八木氏も、軽いノリで観光気分で中国行を決め、勧められるままに、その軽いノリで中国社会科学院日本研究所を訪れてしまったことがわかる。まさしく、「つくる会」文書にあるように、「飛んで火にいる夏の虫」状態になったのである。中国旅行に行った7名のうち、『正論』の小島氏と福原氏以外の5名、すなわち八木、宮崎、若手事務局員は観光気分で行ったことは確かである。

  ともかく、何ともわけのわからない、というよりもおかしな中国旅行である。    

 補記……前回の記事では、⑯福原、張、李春光の三氏の間の関係とはどういうものか、という解明すべき問題点を記しておいた。福原氏は、6月1日の記者会見で李春光と面識があることを明確にしたという。        
    
   

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                  平成18年2月18日

    昨年12月の中国研修旅行について                       
                                    前・つくる会事務局員 福原慎太郎

               経緯

福原から若手事務局員に提案……平成17年9月下旬

・9月下旬、採択も終わったので、年末あたりに研修とリフレッシュを兼ねて中国、韓国、台湾などどこか自費で海外研修旅行に行かないかと福原が若手事務局員(土井、的場、高橋)に茶飲み話として提案。
・どこかに行きたいとの話が盛り上がり、盧溝橋・抗日記念館、南京虐殺記念館などの反日施設や展示の見学を目的とする中国研修旅行を全員が支持。
・その後、大まかなスケジュール試案を福原が作成、提案
・充実した旅行にするためには、最低でも4日間の日程が必要であるが、この時点では休暇取得が可能かどうか未確定。
・また、この時点では、休暇の点と合わせて確定した話と福原は認識していない
・その後、他の3人に本当に行くかどうか何度か念押しの確認。
・事務局に影響が少ないと思われる12月16日(金)~19日の日程を提案

福原から中国社会科学院日本研究所の張研究員へ連絡……10月中旬

・10月中旬、宮崎事務局長に土井氏より休暇の打診
・10月中旬、松下政経塾時代に一時期一緒に過ごした旧知の中国社会科学院日本研究所の張研究員へ中国行きを検討中であることと、実現した際の日本研究所訪問の打診(以下、送信メールより抜粋)
 福原〈基本的には若手職員の私的な訪問ということをご理解いただければと思います。〉
・ちなみに、日本研究所と松下政経塾は15年前から提携しており、毎年政経塾に研究員が派遣されている
・宮崎事務局長、八木会長、鈴木尚之氏がそれぞれ同行を希望している未確認情報が時期も別々に福原に間接的に入る
・福原は当初予定通り若手職員による気楽な私的旅行にしたいため、また、タクシーが2台以上になる人数では中国国内の日程に自信が持てないため、同行には正直消極的であった(よって、この時点では3氏に特に確認していない)
・そのうち執行部の事務局管理が始まり、宮崎事務局長の出勤停止など事務局のゴタゴタが始まり、中国行きについて打ち合せする暇がなくなる

八木、宮崎、小島が参加決定……11月

・11月上旬、最終決定する時期が迫りつつあるため、中国行きについて上記3氏が参加することも含め、本当に実行するかどうか若手職員に確認
 ⇒実行を最終確認、3氏の同行について若手職員も了承
・福原が3氏に個別に確認
・ちなみに、出勤停止中の宮崎事務局長に参加の有無を確認したところ、「もし退職することになったら、お別れ旅行にして欲しい」との返事
・社会科学院の張研究員に訪問者と日程の最終確認
・この間、飛行機、宿泊、中国内の鉄道をすべて福原が手配
 (手配内容については、若手職員以外には詳細の連絡をしていない)
・その後、八木会長より正論編集部小島氏が参加させてほしい旨連絡あり⇒追加手配
・11月下旬、社会科学院より懇談内容の確認があり、八木会長と確認の上連絡
  1.表敬訪問
  2.歴史教育のあり方について
・11月下旬、鈴木尚之氏より中国行き辞退の連絡
・事務局長不在のため、八木会長に中国行きに伴う休暇届を各自提出

「簡単な懇談」予定から3時間の懇談へ……12月15日以降

・福原の認識としては、非公式な訪問でもあり、「簡単な懇談」であると理解していたが、出発の前日(12月15日)夜、張研究員より懇談内容のメールが届き、社会科学院側の発表者、順番がきっちり組まれていること、懇談時間が3時間に延びていることに驚く
⇒宮崎事務局長には当日その場で報告、八木会長には翌日(当日)朝成田空港にて報告
・それまで、ビデオ撮影は可とのことだったが、前日になって「非公式懇談」のため、不可との連絡(録音は可)
・当日、念のため高橋事務局員がビデオ、三脚を持ちこむが、撮影は不許可(社会科学院側も録音のみ)
・八木会長より冒頭に「非公式訪問であること」、「若手職員の私的旅行に同行したこと」を述べる(「正論」に掲載された通り)
・落ち着いた中にもきっちりとした議論を展開、非公式とは思えない内容
・訪問中、中国側公安等に監視されるかと考えたが、そのような様子もなく全日程を無事終了(社会科学院外に話が漏れていないことを実感)

正論へ懇談内容掲載……12月下旬から平成18年2月

・帰国後、小島氏から懇談内容の「正論」への掲載を検討中である旨連絡あり
⇒小島氏と社会科学院側で直接交渉、福原は関知せず
・その後、懇談内容をほぼそのまま3、4月号に掲載予定との情報が入る
・2月1日、「正論」3月号発売
・2月初旬、地元帰着後に張研究員に12月の訪問がどこまで報告されたか以前から知りたかったため個人的に確認(以下やりとり抜粋)
 福原〈12月には色々とお世話になり、ありがとうございました。
    また、雑誌「正論」への掲載ありがとうございます。私も予期しないことだけに驚くと共に今回の懇談が日中関係に少しでも貢献できればと思っただけに大変嬉しく思います。
    張さんにお聞きするのを忘れていたのですが、今回の私達の訪問は政府首脳のどのレベルまで伝わっているのでしょうか。李外相でしょうか、胡国家出(ママ)席まででしょうか。非公式という前提ですが、中国側でどのような受け止め方がされたのか知りたいと思いましたのでお尋ねします。〉
 張〈つくる会来訪の件に関しては非公開という前提で普通の交流としかみえないので、上へは情報を流していません。〉

この記事へのコメント

okusama
2012年06月07日 22:25
正論の編集者がついていく時点で、文章にすることがわかっているはずです。それも肩書きなしの八木氏ではなく、「つくる会」会長でなくては意味がありません。それなのに、なぜつくる会に言わなかったのか・・・・・一人点を稼げると思ったからではないでしょうか。

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